なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

類としての人間

私は前々から全体と個、類と個の関係に興味を持っている。

もう大分前に村瀬学の『理解のおくれの本質』という本を読んだことがある。その本中だったと思うが、私たち人間の中には、アインシュタインモーツアルトのようなとんでもなく知的に進んでいる人がいるかと思うと、知恵遅れの人のように知的に遅れている人がいる。知恵遅れの人をもつ家族や本人からすれば、なぜ自分たちが、自分が、ということになるが、人間を類として考ええれば、きわめて当然のことだということが村瀬の本の中で言われていたように思う。

なるほどなあー、と思った。最近障がい者の経済的負担が重くなると言われている、自立支援法が国会で通ってしまった。もし心身にハンディをもつ人が生まれてくるのが、類としての人間として考えて当然だとすれば、そのような方々の命と生活を守るのも、類としての人間の責務ではないかと思う。

米軍再編に伴う日本の国の費用負担は、アメリカ側の言い分を政府がのんでしまえば、新聞などでちらほらでる記事に眼を通していると、莫大な額になりそうだ。沖縄に駐留する海兵隊のグアム移転費だけでもアメリカ側の要求は度を越しているとしか思えない。今度は自衛隊も共同使用できる実践訓練のための施設をグアム近辺に作るので、日本の経済的負担を、という。

何でそんなに、アメリカの言いなりにならなければならいのか? もし政府がこのアメリカの要求をのむとすれば、日本政府にそうさせる力は何なのか? 何かの見返りがなければ、いくらアメリカ追随の日本政府であったとしても、そんなに言いなりになるとは思えない。

考えられることは、ゼネコンのような企業との癒着か、アメリカ市場で儲けている日本の企業の後押しか、自衛隊を軍隊にしようとする力か。何かそういう力が政府を動かし、日米軍事同盟を日本の側から積極的に作り上げようとするのではないか。

軍隊はお金がかかる。軍隊のいらない平和国家をつくって、その分障がい者や子どもやお年寄りが心配しなくてよい社会保障の充実した社会をめざしたいものだ。