なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(91)

          船越通信癸坑院 。横娃隠廓1月13日    

・6日(日)が新年の初めての日曜日でした。この日は礼拝後、クランツやクリスマスツリーの後片付を皆でしてから、昼食会がありました。8名の礼拝出席者でパンとスープを分かち合いました。Mさんが帰省して、お土産に持ってきてくれた松山のゆずの味がするあんのロール巻き(有名なお菓子ですが、名前を忘れてしまいました)も、デザートにいただきました。昼食会後に役員会がありました。新年最初の役員会でしたので、必要な案件のみを話し合い、早めに終えました。私はその後牧師館の後片付や、1月20日に予定しています「かながわ明日の教団を考える会」の案内をハガキに印刷したりして、船越教会を出たのは午後4時過ぎでした。

・鶴巻に午後6時過ぎに着きました。夕食前に、昨年の暮れ以来風気味で新年に入ってから一度も行けなかった弘法の里湯(鶴巻にある市営の日帰り温泉施設)に、多少風邪気味の状態は残っていましたが、今年はじめて行きました。私は温泉の湯船に体を浮かしながら、村瀬学の本から学んだ母の子宮の中に浮いている赤ちゃんのイメージを心の中で描きます。そのイメージが、時には広がって神の創造された宇宙のイメージの中で浮遊している自分を想像したりします。人為の世界を、自分の意識から出来る限り排除して、歴史的・社会的な存在としての己を離脱し、生まれたばかりの赤ちゃんのように、所与のからだをイメージの中に委ねます。これが私にとってのからだの癒し方です。実際には私は軽い腰痛をいつも持っていますので、温泉に足しげく通っているのは、血行がよくなり、腰を温めると、腰痛がよくなるように感じているからです。この温泉通いとなかなか読まない本を買い揃えて置くことが私の贅沢ですが、後者は年金生活者としては段々できなくなってきていますので、温泉に行くことが今はほぼ唯一の私の贅沢になっています。

・この週は、実質的に新年になって活動をはじめた最初の週でしたが、内容的には沢山のことがありました。まず読書では、暮れから読み進めていた孫崎享著『戦後史の正体』を読了。続けてカレル・ヴァン・ウォフレン著・井上実訳『誰が小沢一郎を殺すのか?』も読了。この2冊は暮れに紅葉坂教会時代の友人からいただいたものです。それにクリストフ・ブルームハルトの書簡『世にあるキリスト』を一気に読了しました。このブルームハルトの本については、もう少し読みこんで、テーマを自分なりに整理し、これからの私の歩み生かしていきたいと考えています。ブルームハルトの書簡集を読んで、もう一度井上良雄先生の『神の国の証人、ブルームハルト父子』を読み直してみたいと思いました。

・先日友人から電話があり、「これからの日本のキリスト教、教会はどうなっていくのか」という、否定的なトーンの強い問いかけがありました。私もその思いは共有しています。今までは、「なるようにしかならない」との思いと、イエスの福音に内在する命の力がそれを受け止めた人によって受け継がれ、これからの日本のキリスト教と教会に革新が起こる可能性に賭けるという思いが、自分の中で交差していました。今も同じ思いですが、まだ生きているお前はどうなのかという囁きも私の中にあって、裁判のこともあり、牧師は半分隠退したと思っている私には悩みの種です。

・前の2冊は、政治は権力の画策で動いているもので、戦後の日本は一貫してアメリカという権力の言いなりになって来ているという内容の本でした。その意味では、アメリカの保護国を脱して自主路線を歩む政治家を国民(民衆)が支えられるようになるまでは、日本の政治は変わらないということなのでしょう。日本のマスコミはアメリカ寄りで、マスコミによって国民(民衆)がコントロールされているというのです。とにかく政治に関しては、私たちとしては、平和憲法を大切にして、武器によらない平和を私たち一人一人が創り出していく努力をしていくことに尽きるのではないでしょうか。船越教会の「横須賀平和センター宣言」もそのことを言っているのではないかと思います。ここに宣言をもう一度引用しておきます。

“私たちは戦争責任に基づき飢餓、地球破壊、差別、軍事力、核等のあらゆる抑圧から解放され自由、人権、世界平和の実現を求めつつ、戦う民衆として前進することをここに宣言します。”                               1990年5月20日

・8日には教区の常置委員会があり出席しました。この日の常置委員会では、2月総会での議案の一つである「2013年度の負担金について」が諮られたとき、財務委員長は13年度の負担金が増額された教会の例として、その一つに船越教会を挙げて説明していました。その資料の中には船越教会の「教師謝義」という項目もあり、船越教会には教師(牧師)がいると財務委員会は認めています。私は質問して、この負担金の件では船越教会に牧師がいることになっているが、教区総会の議員名簿では船越教会の主任担任教師欄は未定になっているのはいかがなものかと言いましたら、議長は免職は教団の決定だからという苦しい説明をしていました。

・9日には東京地裁に私の裁判支援会の事務局長の方と、8日までに集まった「公正判決を求める要請書」を届けにいきました。書記官が受け取ってくださいました。要請書に署名して下さった方々の名前を見せていただきましたが、思わぬ方の名前があったりして、びっくりしています。ご協力を本当に感謝いたします。要請書は、今後1月31日と2月6日に裁判所に持っていく予定ですので、なお一層の御協力をよろしくお願いたします。

・11日には、年末年始風邪気味で寿の越冬活動に参加できませんでしたので、この日新年の最初の炊き出しが寿でありましたので、いろいろな用事を横浜に出て済ませた後、12時半頃寿に行き、炊き出し配食時の食器洗いに参加し、その後の炊き出しの報告・反省会にも出席して、船越に帰ってきました。今年の越冬期間中は、冬では珍しい豪雨があったり強風が吹き付けたりして、例年になく大変だったということでした。