なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

野の花を見よ

はす向かいの家の梅が咲き始めた。2月も中旬を過ぎたので、各地の梅園がにぎわっていることであろう。

これからいろいろな草木が花を咲かせていく季節だ。鉢植えにしたパンジーは、冬場にもひっそりと花を咲かせているが、春になると、株が増えて沢山の花を咲かせる。

この時期になると、私は、イエスの「野の花」の言葉を思い起こす。

「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。・・・・・今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。・・・だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。・・・あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたには必要なことをご存知である」(マタイによる福音書6章28-32節)。

以前私の尊敬する牧師で、既に天上の人になっている方が、この聖書の箇所でお話をしたのを今でも覚えている。名もなき野の草花をじっと見ていると、その草花の生態やその生命活動の複雑さを思う。まして人間の体の生命活動の複雑さは驚くほどだと、微細に至るまで語られたのである。今ここに命ある者として存在しているということは、本当に驚きそのものなのだということを、その牧師の朴訥とした語りを聞いていて、しみじみと思わされたのである。

それ以来、行き詰まったり、落ち込んだりしたときには、この牧師の話を思い出して、草花をじっと見つめることにしている。花の花弁ひとつひとつ、葉っぱや茎のこと、大地にのばしている根のことなどを想像する。そうすると、今自分がここに生かされて在ることそのものが不思議に感じられてくる。大きく重いもののように。逆に悩んでいる自分が小さく感じられるようになる。

悩みがなくなったわけではないのだが、楽になる。そのうちに悩みそのものを乗り越えて、前向きに生きている自分に気づくのである。

エスの言葉を思い起こしながら、野の花をゆっくり時間をかけてご覧になってみませんか?