なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

茨木のり子の死

20日の夕刊で詩人の茨木のり子が死んだことを知った。もう大分前にこの詩人の「わたしが一番きれいだったとき」という詩を読んだ。この詩は、直接反戦を歌っているわけではないが、反戦で貫かれているように思えた。

「わたしが一番きれいだったとき/わたしの国は戦争で負けた/・・・・・わたしが一番きれいだったとき/わたしはとてもふしあわせ/・・・・・だから決めた できれば長生きすることに/・・・」。

そう歌った茨木のり子は79年の生涯であった。女性の平均寿命には少し足りなかった。

私は現在64歳である。1945年の敗戦のとき3歳だった。自分の記憶の中に残っている戦争の思い出はごくわずかに過ぎない。誰かに抱えられて、防空頭巾をかぶり肩から袋をさげて、火の中を逃げ惑っている光景が脳裏に刻まれている。また、防空壕に沢山の人がいて、その入り口から、所々木が燃えている向こうの山を眺めている光景も焼きついている。そのくらいの記憶しかない。多分私より年下の方々には、戦争の記憶は殆どないだろう。

茨木のり子の死は、あの戦争の悲惨さを味わった人がまた一人いなくなったということでもある。そのようにして、あの戦争を直接体験した人はだんだんと少なくなっていき、ついには誰もいなくなるだろう。

それが歴史というものだろうが、言い伝えと想像力によって、戦争の記憶が継承されていくことを願わずにはおれない。被害だけではなく、加害の事実も。