なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

さくら開花

桜の花が咲き始めました。

私の住んでいる近いにも小さな公園があり、この季節桜が咲くと、宴会組みがにぎやかに夜中まで騒ぎます。

今はまだ五、六部咲きですが、暖かな日が来るといっぺんに全開し、すぐ散ってしまいます。まれに二週間近く桜の花を楽しめることがありますが、通常は一週間、短いときには雨に見舞われて数日という年もあります。

数年前に横浜の名所といわれる桜の場所を何箇所も回れたことがありました。大倉山の桜、鶴見の三つ池の桜、大岡川沿いの桜、日野墓地近くの参道の桜、三ツ沢公園の桜、掃部山公園伊勢山皇大神宮の桜、根岸の森林公園の桜などです。

それぞれの場所の桜の年輪、枝ぶり、配置や風景がみんなちがい、それぞれの趣があって、みんないいのです。何年分をいっぺんに楽しんだようで、すごく満足しました。

草木を見ていますと、その美しさと共に、なぜ四季折々変化しながら、その生命活動が続いていくのか不思議に感じます。いったい一本一本の木やそれぞれ違った草花が、どうしていろいろ違い、多様性に満ちているのか、これまた不思議です。春になると芽を出し、葉っぱをつけて、きれいな花を咲かせたり、実のなる木であれば、いろいろな果実をつけるわけですが、これもまた不思議です。自然は神秘に満ちています。

私の尊敬する牧師で、既に天上の人のなっている方が、寄せ場山谷の集会で、日雇い労働者を前にして、野の草の生命活動をこまごま話して、われわれ人間の体や心のせいまい活動も神秘に満ちているということを、ぼそぼそと語っていたのを想い出します。

草木は自然環境に、人間は社会環境に強く影響を受けますが、神秘に満ちた生命体としての個々の草木も人間も、そして生き物すべてが、その生命が枯れて死ぬまで、生き生きとその活動が続けられるようにと祈り、願うものです。