なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

老いの日常

昨日教会の89歳になるお年寄りを自宅に訪問しました。この方は一人で暮らしています。先日お手紙をいただいて、聖書を読んでいても分からないところがあるので、何か参考になるものがないか、と尋ねられました。新約聖書の解説書が欲しいとおっしゃるので、新共同訳の略解をキリスト教書店で購入し、届けました。

1時間半ほど二人で懇談をして、最後にお祈りをして、私は帰ってきました。この方は女性ですが、同じ93歳になる女性の方と親しくしておられます。93歳の方はピアノをずっと教えておられる方ですので、この方も一人暮らしですが、毎日朝讃美歌を3曲ずつ讃美歌集の最初から弾いて、声を出して歌っているそうです。そして聖書を読んでお祈りして、一日を始めるというのです。私がお尋ねした方も、この方に倣って同じように毎日しているそうです。

お二人とも高齢ですから、ほとんどの日常生活は自宅で営まれています。もちろん、少しは外出したり、買い物したりすることはあるでしょうが、圧倒的に独りで自宅にいる時間が多いのです。ヘルパーさんが週に何日か来てくださるようですので、全く独りというわけではありませんが。

現在私たちの社会にはこういうお年寄りの一人暮らしをしておられる方が多くなっています。昔の村落共同体のような社会であれば、共同体の中でお年寄りの生活は最後まで見守られていったでしょう。もちろん姥捨て山伝承があるということは、村落共同体の社会でも生産力が飢饉などで極端に落ち、労働力を失った高齢者を食わすことができないということも、現実にあったでしょう。いずれにしてもお年寄りの生活は、最後まで共同体とのかかわりの中にありました。

現在の社会では、独り暮らしのお年よりは孤立する場合が多くなってきています。以前映画で観たデンマークだったか、お年寄りや障がい者の介護が24時間体制で行われている地域社会であれば、よいのですが、現在の日本社会は介護費用も減額の方向にあります。とても十分な介護体制とは言えませんし、これからもすぐにそういう社会になるとは思えません。

そういう状況において個人としてできることは、老いの日々を自分がどう生きていくかということではないかと思います。前向きに課題をもって歩む上記のお二人は、自分の将来に不安を持ちながらも、神さまに委ねて、与えられた一日一日を大切に生きておられます。お年寄りを大切にする社会になりますように。