なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

サスペンス

私は、時間のあるときは、若いときからテレビのサスペンスを好んで観ている。牧師のくせに人が殺されるのが好きね、と家族の者には馬鹿にされながら、でも観るときは観る。

何故なのだろうか。余り自己分析をしたことはないが、物事の白黒をはっきりさせたいという自分の性向から来ているのかもしれない。

私の高校時代には貸本屋があった。よく山手樹一郎の本を借りて読んだ。恋愛がらみの強い侍が出てきて、最後には悪い奴をやっつけてしまうという筋書きだ。読み終わった後、思想的なことは何も残らないが、気分はスッキリする。一種のカタルシスだったかも知れない。

自分のどこかに正義を振りかざすところがあって、勧善懲悪的な論理にころっといってしまうのだろうか。

アメリカのテレビ映画で科学捜査の刑事ものがある。観ていて日本のサスペンスとの違いを感じる。それは死体の描き方である。ドキっとするほど、アメリカのはリアルなのである。

そこには、日本の文化とアメリカの文化の違いがあるように思われる。それは現実を受容する人間の態度に関わる。どんなに醜く、目を被いたくなるような現実であっても、それが事実であるならば、その事実を直視する人間の目である。我々はそんな酷い現場は見たくないと、目をそむけてしまう場合が多い。

現実を見ないということは、そこにある問題を回避し逃げることを意味する。それは人間の死体に限らず、日常の生活の問題から政治経済の問題まで、すべてに関わっている。

しかし、神はイエスにおいて受肉された。受肉とは、神がこの世界と人間の現実に全面的に関与されたことを意味する。そしてイエスは十字架に窮まる苦しみを受けた。イエスにあって神がこの世界と人間の現実を引き受けて苦しんでいる。何ということだろうか?