なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

年齢

数日前に「介護保険証」が区役所から送られてきました。もうすぐ65歳になるからです。制度としては当然なのですが、自分の意識では青天の霹靂という感じです。

教会では数年前まで9月の敬老の日前後に75歳以上の高齢者の名前と年齢を出していましたが、年齢を書かれるのはいやだという方もあって、今は名前だけになりました。

年齢というのはおかしなもので、普段の生活では余り関係ないのですが、あなたは何歳ですよ、と言われますと、ああそうか自分は何歳なんだと、念を押される感じです。

年齢は通時的なもので、一人の人間にとっては誕生から死までの時間を一年毎に区切って、誕生を0歳としてその人の生きてきた年数を数えたものです。機械的な時間と言ってよいでしょう。

しかし、どんな人の人生でも、あの時の一年は自分の人生の中でも最高に充実した年だったと言えるような特別な一年があるのではないでしょうか。同じ1年でも経験した中身によって大分違って感じられるものです。

ただこの年になって言えることは、若い時の1年と最近の1年を比べてみますと、最近の方が淡々としてきているように思えます。

先日私が二ヶ月に一回聖書のお話に行っています軽費有料老人ホームで、その会に出席していた90歳を過ぎた女性の方がこんなことをおっしゃっていました。「最近世の中のことへの関心もなくなって、すべたがボーっとしてきた」と。その方は肉体的にはお元気なのですが、今まで関心があった社会のことも今はどうでもよく思えてきたようです。

加齢と共に人生の終末が近づいてきた高齢者には、死のこちら側の世界から死の向こう側の世界へと関心が移っていくのかもしれません。

自分としてはとにかく一日しかないものと思って、与えられた一日を「一日一生」のつもりで過ごしたいと思っています。