なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

先輩牧師

今日は日中18度とも20度ともいわれるほど、暖かな一日でした。12月27日という年の瀬の時期とは思えない気候です。返って体がだるく感じられます。

クリスマスが終わると、例年はホッとして、喉が痛くなり風邪気味になるところですが、今年は元気でいます。ただ頼まれたことがあって、横田勲さんの『傍らに立つ者』I、IIを読み返しています。Iは比較的丁寧に読みました。IIは斜め読みとまではいきませんが、それに近く、かなり荒っぽくざっと読みました。

横田勲さんの記念会が暮れにあり、私も誘われ、横田さんの二冊の著作について話をするようにいわれたからです。

私は、横田勲さんとは生前それほど深い付き合いはしていません。けれども、日本基督教団という教会にあって、先輩牧師の中では私と波長が合いそうに思える方でした。ですから、私が牧師をしている教会に、30年前に一度、5,6年前に一度、2回お呼びしています。

30年前は、私も若かったということもありましたが、既に日本基督教団の多くの教会では横田勲牧師は「危険視」されていました。ちょうど『傍らに立つ者』Iが出版されたばかりでしたが、私は、噂ではなく、直接本人に出会い、本人から話を聞くことの大切さを感じていましたので、横田勲牧師を教会の礼拝説教にお呼びしました。その時の説教の内容は忘れてしまいましたが、来る途中の電車にノートを忘れてしまって記憶で話すとおっしゃって、夏目漱石に触れて説教されたように思います。大変オーソドックスな説教でした。

その時、礼拝後に食事をして、どこか行きたい所があるか尋ねたら、「ぼくはミーハーなので、横浜港の大桟橋に行きたいと」おっしゃいました。その日クイーン・エリザベスという豪華客船が大桟橋に停泊していたからです。それを見に行きたいといわれたので、教会の信徒の方と案内しました。

2回目にお呼びしたのは、牧師を引退されてからでした。1回目からすると25年後くらいになります。さすがにふけていらして、若い時のエネルギッシュな横田牧師とは違って感じられる程でした。

私が横田牧師に共感したのは、人として平らな点です。自分を一人の人間として他の人と全く対等同等な存在として、常に自己相対化できているというところです。私自身そうありたいと常々思っているからです。案外牧師の中にはそういう人が少ないのです。