なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

神のユーモアは何処に?

月曜、火曜と大阪のホテルに泊り、兵庫と大阪で行われた集会に行って来た。帰りに近江の野洲で古い友人とも本当に久しぶりに会ってきた。そこには以前今私がいる教会で伝道師をしていたY君も同席してくれた。

この古い友人は神学生時代からの付き合いで、学生時代にひと夏廃品回収の仕事を一緒に体験したこともある。記憶力が抜群で、学生時代に私の言った事を、私は忘れているのに、今でも正確に覚えているのである。

今私は教団教師退任勧告を受けているが、その勧告を受けることになった原因の一つに、ある雑誌に私が書いた文章が挙げられている。その中に私が神学校を出て最初に牧師になった教会で行われていた聖餐式について書いている。その教会では浅野順一という当時高名な牧師をクリスマスの時期にお迎えして、一年に一回聖餐式と洗礼志願者があれば、洗礼式が行われていた。浅野順一牧師は聖餐式に洗礼をまだ受けていない人でもその人が希望すれば聖餐に与らせていた。そして出来るだけ洗礼を受けるようにしてくださいと付け加えていた。そういうことを上記の雑誌の文章に私は書いた。

そのことをこの古い友人に先日言ったら、お前はその時俺に、浅野順一牧師は、洗礼をまだ受けていない人に聖餐を与らせるときに、「もし神さまがそれはいけないと言って、お叱りになるならば、そのときは私がそのお叱りを受けるから」と言ったといって、本当に驚いた顔をしていたというのである。

恥ずかしい話だが、私はそんなことを彼に言ったことなどすっかり忘れていた。でも、それを彼から聞いて、改めて浅野順一牧師の人となりの素晴らしさを思い出した。

今朝のNHKの朝ドラで、落語家をめざしている娘のために近くのお地蔵さんに、娘の願いがかなうように祈っている母親に、その娘の弟が、母さん願掛けなら階段を何段も上っているお宮でやらなければと言うシーンがあった。その弟に対して母親は、「あんな階段を上り下りしたら疲れるで、いやだー」と言った後、「神さまはそんなけち臭い方ではないわー」というのである。何ともいい話だと思う。

20世紀の最大の神学者と言われるカール・バルトは「神のユーモア」ということを言ったが、このところ日本基督教団というところには、苦虫を噛み潰したような神しか登場してこないように思えて、さびしい。