なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

祈りつつ・・・、待ちつつ、・・・

1月も終わりますが、遅れ馳せながら、新年おめでとうございます。

祈りの小さなほんですが、『お祈りの翼』という本があります。最近キリスト教書店で見つけて、読んでみました。子ども向けの本だと思いますが、余計な理屈がなく、単純明快に、神との対話としての祈りに導かれます。その本の序文に当たる文章には、このように記されています。


『ああ わたしも あの鳥のように 自由に 飛べたら』 

そう 思うでしょう? でも ほんとうは あなたも 飛べるのです

心の翼を ひろげさえすれば 神さまの息 神さまの風に乗って

いつでも 飛び立てます

そう それが お祈りなのです   


私は この神との対話である祈りによって、自分の心が開かれていて、どんな時にも、悲しくつらい時にも、そういう自分の中に、新鮮な空気が注ぎ込まれるように感じることがあります。

いつも、いつも、というわけではありませんが、私の66年の人生経験の中には、そういう時が何度もあったように思います。だから今まで生きてこれたということもありますが、それ以上に、この祈りによって、私は、自分が自分らしく、人間として歩めてこれたように思えてなりません。


もし若い時に、教会に導かれ、聖書を読み、祈るということを知らなかったら、今の自分とは相当違った人間になっていたように思います。今の自分がよいとか、誇れるということではありませんが、もっと自尊心の強い、優越感を誇る人間か、逆に劣等感にさいなまれる人間になっていたのではないかと思います。

祈りは、日本的な願掛けのように、自分の願望を聞いてもらえるまで繰り返すということではなく、素朴に自分の願望も祈りますが、むしろ神さまの声を聞こうとすることです。


神さま、あなたは、こんなとき、どのようになさいますか。そうかみ心をお示し下さい、というような感じです。この神との対話である祈りを通して、私は随分変えられてきたのではないかと感じています。

今年も、「祈りつつ、待ちつつ、何が神の正義と愛にふさわしいことなのかを求めつつ」歩んでいきたいと思います。