なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

サイード

  59日の日曜日の礼拝後に、私たちの教会で唯一残っていますエイジグループ(年配の男性のクループ)主催で、「パレスチナ問題」を語るサイードイラク戦争前に作られたテレビ録画の放映会がありました。それは、以前私もテレビで見たことがあるものでした。このエイジグループに属する方の中に、以前からイスラエルパレスチナの問題に関心のある方がいて、その方が教会の方からサイードのテレビのDVDをもらったというので、みんなで見ようということになったようです。
  アメリカのイラク戦争については、サイードチョムスキーが知識人の中で活発に批判を展開していましたので、私もサイードのテレビ放映があるのを知って、大分前に観ていたのだと思います。
  イードパレスチナ人で、15歳くらいまではカイロにいて、その後アメリカに渡ってアメリカで活躍した思想家です。今回改めてサイードのテレビ番組の放映を観て、二つのことが印象深く思われました。
  ひとつは、軍事力によらない平和の実現は、「一人一票」という平等主義の徹底によるという、サイードの考えです。その実例として、南アフリカの大統領マンデラのことを引き合いに出していました。マンデラは27(?)年間獄中にありながら、裁判で「一人一票」という、すべての人が平等の権利を有するということを、熱心に意欲的に語り、そのマンデラの言葉が人々を動かし、南アフリカアパルトヘイトを打破したというのです。
  人間の解放を信じ、熱心にその解放に向けて行動する意欲的な人々を呼び起こす「言葉」を語り得るマンデラやサイードのような人が、日本にはいないのでは、と思えてなりません。
  イードの思想で、もう一つ心に響いたのは、境界を越えて人間が出会っているという、アイデンティティーについての考え方です。通常アイデンティティーというと、民族や国の違いによる、その内側に閉じられた集団の自己同定を言います。しかし、サイードは、そういうアイデンティティーは人間の現実の状況から出てきたというよりも、権力による上からのものではないか、と言うのでしょう。むしろ現実の人間は、境界が入り混じって存在していて、はっきりと民族や国で区切れるものではないというのです。
  どちらの思想も、一人ひとりの個々の人間に何よりも重い価値があるという、徹底的に個を大切にする考え方のように思えます。この個の尊重をベースにした関係の構築は、心の中にある偏見差別という内なる境界線も、国境のような社会の中にあるすべての外的な境界線も無意味なものとし、人と人とが自由に行き来する世界をもたらすでしょう。
・ サイードパレスチナ人として、帝国主義アメリカの世界支配の矛盾を体現するなかで、個としての己の自立を獲得していったのではないでしょうか。
・ 私も、そういう世界を造り出せたらと思っている者の一人です。