なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信№2

【船越通信】№2、   
      410日の礼拝には赤城清美さんが出席され、礼拝後清美さんを囲んで食事を共にしました。彼女は1960年代から1970年初めまで船越教会を牧会された赤城牧師(1989年帰天)のお連れ合いです。アメリカにお住まいで、船越教会の方々とはずっと交流が続いており、教会員の方々がアメリカに彼女を訪ねていったりもしてきたようです。会が終わって、教会でお別れするときに、船越教会に牧師が来てくれてよかったと、おっしゃておられました。その期待に少しでも応えたいと思います。
      411()12日(火)と紅葉坂教会の教会員の葬儀が紅葉坂教会であり、出席しました。この方は90歳で胆管がんにより47日に帰天しました。私は紅葉坂教会在任時の最後に(325日)に彼女を病院に見舞いました。吐き気が強くあるようで、枕もとに嘔吐物を受ける容器を置いていました。その時は、意識ははっきりしていて、私が見舞ったことを喜んでくれました。そして「お迎えが早くきて欲しい」とおっしゃいました。「そればかりはねえー!」と返し、しばらく話をして、ひと言祈って分かれました。彼女はネコが好きで、野良猫を3匹飼っていて、ネコのために入院するときも、できるだけ早く家に帰って、猫の世話をしなければという方でした。マイペースで意見の合わないヘルパーさんにはすぐに辞めてもらうほど、自分を出す人でした。しかし、人の面倒見はよく、私も若い時に腸閉塞で入院していたときには、よく見舞ってくれました。私は一人の方の個人史には語りつくせないほどのその人固有のものがつまっていて、その宝物をもって神さまのところに帰っていくのではないかと思っています。今天上でその語りつくせない個人史をもって神さまとお話している故人を想像します。主にある平安を祈りつつ。
      410日の説教では、マルコによる福音書630節以下の5000人の供食の物語をテキストに、イエスの弟子たちと群集をテーマにしてお話をしました。この物語の前を読みますと、弟子たちはイエスによって町や村に福音を宣べ伝えるために派遣されていきました。彼らがイエスのもとに帰ってきた時に、イエスは彼らを寂しいところに退かせて休みを与えようとされました。実際には、この物語では、群集がイエスと弟子たちの先回りをして待っていましたので、弟子たちへの休みはありませんでした。私はこの物語を通して、一体で弟子たる者はどのような人間なのかに興味を感じ、最初にそのことに触れました。人間的には個性や資質の違いはあっても、状況的には他の人たちと弟子たちとの違いは何もないように思われます。存在的に見れば、弟子たちにはイエスを通した神との関係が刻まれていたと思われます。生前イエスの弟子たちがそのことをどこまで深く意識し、その神関係としての信仰を自分たちの存在の軸としていたかは分かりません。福音書を読む限り、特にマルコ福音書には弟子の無理解のモチーフが繰り返し出てきますので、生前の弟子たちにはその神関係は神からの恵の確かさとしては与えられていたとしても、彼ら自身の側での自覚は希薄だったようです。イエスの死後、イエスの十字架と復活によって弟子たちの信仰的な自覚が深まったのでしょう。自らの存在と生活を神信仰において見直し、そこで自分を取り戻し、日常を生きる者が弟子たる者のことではないでしょうか。その意味で私たちに与えられています神への通路を大切にして生きていきたいと思います。
   もう一つ、イエスと共に「飼う者のいない羊たちのような」群集、それはこの世と言えるでしょうが、弟子たる者はこの世と向かい合う存在なのです。弟子たちは、最初イエスに群集を解散させて、各自町に行って食糧を調達させてくれるように頼みます。しかし、イエスは弟子たちに自分たちでお腹を空かせた群衆に食事を与えなさいといわれます。とても自分たちにその力がないと逡巡している弟子たちを尻目に、そこにあった2匹の魚と五つのパンを分け与えて、みんなが満腹して、12の籠に一杯になるほど余剰が出たというのです。個と全体が同時に祝福されること。これがイエスによる救済ではないでしょうか。
弟子たる者、そのイエスの救済に仕えて生きる者なのです。
                       (4月17日)