なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信№6

船越通信№6   2011年5月15日     北村慈郎
 
    8日の日曜日には、前もって電話で船越教会の場所を問い合わせて来られた方が、新しく礼拝に出席されました。また、紅葉坂教会時代の方で金沢八景に住んでいるOさんが、船越教会の礼拝に参加したいというので、私の連れ合いと待ち合わせをして、礼拝に出席しました。たまたまその方が社会福祉委員会の集会によく出ていて、船越教会の方とも馴染があり、船越教会の礼拝にはじめて出席されたのですが、孤独感はなかったと、おっしゃっていました。
    礼拝後みなさんとお茶をいただき、その後私と連れ合いは、0さんのマンションにお寄りし、ベトナムのおそばをご馳走になり、しばらく歓談して、楽しいひと時を過ごしました。私は、その後船越教会に帰って、結婚するお二人と準備の時をもちました。
    この日は船越教会の庭に植えられた一本のサクランボに実がいっぱいなっていて、礼拝後にサクランボをとってみなさんが持ち帰えりましたが、まだ沢山残っていましたので、結婚式を挙げる二人にもお裾分けしました。この日私が船越教会を出たのは午後6時過ぎていました。
    10日(火)は常置委員会に出席しました。常置委員会では私の所属をめぐってやりとりがありました。神奈川教区は教団が私を免職にしているので、私を教団の正教師としては認めません。ですから、オリエンテーションや寿活動委員会の委員長としての私を、教区の委員会名簿の中で所属を船越教会とは書けないので、その欄を空白にしておいたというのです。船越教会に私の信徒籍があれば、船越教会として問題ないという人もいましたが、とにかく変な議論です。私は教団では幽霊に等しい存在のようです。ですから、幽霊なら幽霊としての存在感を示していこうと思っています。
    12日(木)午後2時過ぎに、パソコンのことでNTT光回線の工事の人が来ました。少し雨が降っていましたが、3時半ごろまで工事をしてくださり、教会に光回線が整いました。今のところ、私は、鶴巻ではメールのやりとりができますが、船越ではまだできません。もうしばらくすれば、それもできるようになるのではと思います。
    13日には、高座渋谷教会のKさんに紹介していただいたO弁護士を、Kさんと一緒に横浜市中区太田町にある事務所に訪ね、相談に乗っていただきました。私の免職のことで、本訴になった場合、人権侵害という切り口から論理構成ができないかということで、O弁護士の意見を聞くためでした。協力していただけることになりました。仮処分の時にお願いしましたお二人の弁護士を中心に本訴に取り組むことになりますが、必要な時に0弁護士にも協力していただき、結果はどうなるか分かりませんが、私の免職に対する余りの公正さを欠く教団のやり方を問うていきたいと思っています。
    8日の礼拝説教は、マルコ福音書のイエスの洗礼と誘惑の記事からお話をしました。イエスが公の場所に自らを現したのは、おそらくこのバプテスマのヨハネから洗礼を受けるときだったと思われます。父ヨセフの亡き後、イエスは長子として家族の生計を支えて生きてきたと思われます。バプテスマのヨハネのところにやってきたのは、イエス30歳くらいの時でした。このくらいの年齢は当時のユダヤでは、おそらく壮年を過ぎた時期でしょうから、長子としての家族への責任をある程度果たした後ということだったかもしれません。いずれにしろ家族との関係を断ち切って、イエスは新しい活動に向かおうとしていたのでしょう。ヨハネバプテスマ運動は、「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」と言われていますから、旧約の預言者の伝統に立って、「主の日」(神の国)の到来を告げ、その到来を迎えるにふさわしい「悔い改め」を民衆に迫るものでした。ところが、洗礼を受け、水から上がると、「天が裂けて、霊が鳩のように」イエスに降り、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声がしたというのです。そして荒野でサタンの誘惑を受けますが、イエスは「その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」というのです。この洗礼と誘惑の記事におけるイエスは、神と一体となっていることを示しています。イエスによる人間の歴史への神の直接的な介入という風に、この物語を読むことができるのではないでしょうか。バプテスマのヨハネまでは、道備えであって、切実に神を待ち望むのですが、イエスにあっては、イエスと共に神は到来し、そのみ業(神の国)の完成を待ち望みつつ、神と共に生きる道に、私たちは招かれているのではないでしょうか。