なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

悪魔祓い

       船越教会のある地域には南米、特にブラジルから日本に働きに来ている方がいます。恐らく追浜には日産の工場はじめ、海側にいろいろな生産工場があるからだろうと思われます。以前、2,3回ブラジルかペルーの女性が、私が紅葉坂教会で牧師をしていた時に礼拝に来たことがありました。礼拝後その方とお話をしたことがありましたが、その時彼女は追浜にある南米の人が来る教会に行っているという話をしていました。そして、私の理解では「神癒」に近い行為だと思いましたが、ある種の悪魔祓いのようなことをしていると聞いていました。彼女の話を聞いていますと、サタン(悪魔)が実在するものとして考えられているように思いました。そしてその悪魔に取りつかれた人から牧師が祈って悪魔を追い出したというのです。
       4月から船越教会で働くようになって、日本人の方ですがブラジルに移民していて日本に帰ってきて、追浜に住んでいる男性が船越教会の礼拝に来ています。彼と話す機会がありましたが、彼もまたサタンについて同じように考えているのです。私は同じようには考えていないのですが、彼女や彼のような信仰観には大変関心を持っています。
       彼と話をしていて、彼から与えられたテーマを二つ記してみます。皆さんも考えてみていただければと思いつつ。
       一つは、聖書の言葉についてです。彼は聖書の言葉を真剣に「神の言葉」(神の直接的な声)として読んでいます。例えば使徒言行録3章の美しの門でペトロが足の不自由な男に対して語った言葉、「私には金銀はない。イエスの名によって歩きなさい」のように。今でもペトロと同じことが可能だというのです。ですから、彼は私に、先生も相手の目をしっかり見て、信じてこの言葉を語れば、相手は癒されるというのです。私は半分信じ、半分そうではないだろうという思いながら、彼の言葉をじっと聞いていました。彼はそのようにして病気が癒されたり、サタンから自由になった人がいるということを、確信を持って私に話していました。
       もう一つは、教会の伝道(宣教)についてです。船越教会から700メートルほどのところにスーパーがあります。船越教会の近所で人が行き来する場所はそのスーパくらいです。昔の教会や牧師がしたという路傍伝道のように、そのスーパーの前で行き来する人に向って伝道すれば、反発も起こる。その反発はサタンの顕在化ではないかと(そういう言葉は使いませんでしたが)、彼は言うのです。つまり福音宣教によって、真実と虚偽とが明らかになるのではないか(これも私の言葉ですが)というのです。今の教会は会堂に閉じこもっているだけだから、サタンにとっては、自分の存在を揺さぶられることがないので、金や権力への欲望や、レジャーやお笑いのような刹那の楽しみに人々の心を向けさせることによって、人々を神から背けるサタンの目的を何の抵抗もなくはたしているのだと。
       私は彼の話を聞きながら、彼の言うことをそのまま受け入れることは難しいと思いながら、彼の言っていることのなかにある、ある種の真理性になるほどと思っていました。最後に、彼は船越教会からリバイバルが起こるようにと祈ってくれました。