なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(24)

 長かった残暑もこれで落ち着くのでしょうか。今日は比較的涼しい日になりました。しかし、二つの台風が日本列島に近づいていて、12号で被害を受けた和歌山県奈良県の山間部は土石流の危険性があり、心配です。このところ自然災害が多発しているように思えてなりません。人間の環境破壊が影響しているのかも知れません。目先の利益や快適な生活を享受しようとするのは、私たち誰もが持っている欲望でしょうが、その欲望を利用して巨大化した社会システムが生産を上げ、消費を拡大していくという循環が、どこかで変わっていかなければなりません。今回の東日本大震災福島原発事故によって節電が求められました。今までは電化製品をはじめ、住宅の電化というように、電気はどんどん使う方向に社会が動いていました。突然節電で、私たちは戸惑いましたが、案外節電してもやっていけるのではないかという感じをもった人も多いでしょう。私たちのライフスタイルが自然を大切にするものへと変わっていかなければ、ある面で自然からの報復のような災害から私たちは逃れることはできないのでしょう。
 さて、今日は「黙想と祈りのゆべ通信(24)(復刻版?)を掲載します。
 
 黙想と祈りの夕べ
   (通信 24 2000・ 3・12発行)
 
 前回の「黙想と祈りの夕べ」には、それまで父親と二人で参加していた姉妹が、父親が都合が悪く、一人で参加しました。そして、自分のこれからの希望について祈りました。音楽の勉強をしたいとの希望ですが、自分はできるだけ努力しますから、神様助けてくださいと祈りました。続いて祈った諸兄姉も、彼女のことを自分の祈りに加えました。
 私たちが夢や幻をもつということの大切さを思います。現実というある種の牢獄に捕らえられてしまい、そこから出られないというあきらめは、その人の日常の生き方にも微妙に反映するでしょう。以前にアランの言葉から、現実の受けとめ方によって、つまり否定的に受けとめるか、肯定的に受けとめるかによってその人の有り様が違ってくるのではないかということを書きました。それと重なると思いますが、夢や幻があるかないかによって、やはりその人の有り様が違ってくるのです。このことは、V.E.フランクルも、強制収容所の体験に基づいて書いています。強制収容所に入れられた人々の中で、たとえば自分の家族のところへ絶対に帰るのだとか、やりかけている研究を完成させたいからということで、将来につながるものをもっている人は強制収容所の苛酷な現実を何とか生き延びようとしたが、そういう将来を持たない人はそれに耐えられなかった、と言うのです。強制収容所という極限状況の中で、人間の裸の姿が露呈されていったと思われますが、このことは、私たちにとっても大切な問題ではないかと思います。私には、このことと関わる旧約聖書のヨエル書3章1節の言葉が心に響きます。
 「その後、/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。/あなたたちの息子や娘は預言し、/老人は夢を見、若者は幻を見る。」
 前回の「黙想と祈りの夕べ」の「分かち合い」では、私がその日の朗読聖書箇所であったⅠコリント13章の「愛の讃歌」にまつわる思い出を話しました。名古屋の御器所教会の信徒ですでに召された方のことです。Hさんという方ですが、着物の紋の仕事をしていた人です。尋常小学校を出て、おじさんの紋屋に丁稚奉公しました。10代後半に路傍伝道でキリスト教に触れ、御器所教会の前身になる教会で洗礼を受けました。仏教の強い田舎の父親はそれを許さず、おじさんに何度も教会に行ってはいけないと責められましたが、Hさんは又教会に行きました。それはHさんの心を捉えた言葉があったからです。それがこのⅠコリント13章の「愛の讃歌」なのです。後年自分が兄弟子になると、それまでは兄弟子から教えてもらえずに、盗んで紋を描く技術を会得していたのですが、Hさんはキリスト教の隣人愛を実践して弟弟子に喜んで自分の技術を教えてあげたそうです。すると、それまではお互いに喧嘩することが多かった仲間の関係が、宥和の関係に変わっていったというのです。Hさんは自分の実践を通して、聖書の言葉の力を体験し、生涯信仰を貫き、教会のためにも大変よく働いてくれました。私には、忘れられない一人です。
 また、自分は障害者に関心をもち、それなりの働きをしていたが、足が不自由になって体が動けなくなってはじめて、障害をもつ方の大変さが分かったという人のこと。鎌倉彫をする方が、自閉症のお弟子の視点から、自分の方が多くのことを学んでいると言わたということを報告してくれた一人の姉妹は、相手を理解することの難しさと、助けるとか学ぶとかは、決して一方的なものではなく、相互的なものではないかと思う、と言いました。