なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(30)

 今日は木曜日です。これから船越教会に移動します。昨日鶴巻は一日冷たい雨が降りました。しかし、今日は秋晴れで、気温も高目のようです。丹沢の山並みはまだ紅葉の気配はありませんが、これから段々と紅葉になっていくのでしょう。常緑樹が多いかも知れませんので、山全体が紅葉になるかどうかは分かりませんが、楽しみです。紅葉坂教会時代は、みなとみらいから山下公園にかけて、海(横浜港)が散歩コースでした。今は山を見るのが楽しみです。
 今日は「黙想と祈りの夕べ通信」(30、復刻版?)を掲載します。
 
黙想と祈りの夕べ
   (通信 30 2000・ 4・23発行)
 
 前回の「黙想と祈りの夕べ」の行なわれた日曜日の夜、亡くなったYさんの遺体が2階和室にありました(月曜日に家族だけで葬送式を行い、荼毘にふしました)。私は、「分かち合い」の時にそのことに触れ、故人の弟に当たるSさんのことについて話しました。彼とはこの教会で、私は神学生時代、彼は中学から高校の時代に出会い、それ以来の友人です。彼は高校時代から絵をはじめ、多摩美を出て、学校の講師や絵教室で教えながら、絵を描いています。生活することの重さと絵を描くことの狭間で揺れ動きながら、彼が何とか今までやってきたように私には思われます。自己表現と既存の枠組みとの絡み合いの中で、結構生きにくさを感じながら、自分を殺して日常に適応するだけの道を拒絶し、あちらにぶつかり、こちらにぶつかりながら、生きてきたのではないかと思います。そのような彼のことを紹介しながら、私は、その人の個性がありのままに受け入れられる、いろいろな人が生きやすい社会をつくりたいと話しました。
 私に続いて、一人の姉妹から話がありました。彼女がボランティアで伺う家のハンディキャプのある3歳半の子どもさんが、アンパンマンのレコ-ドやテレビをかけると、大変うれしがり、その子の笑顔が何とも美しいと。その家には生まれたばかりの赤ちゃんもいて、その赤ちゃんの笑顔も大変きれいだ。その子どもたちの笑顔を見ていて、人間が心の底から生きていることをうれしいと笑えることを、神は喜んでくれるのではないか。また、そのように私たちが心の底から生きていることを喜び笑えることを、神は待っていてくれるのではないだろうかと。
 また、もう一人の姉妹が、3歳ころから知っている親しい友人の現在31歳になるY子さんのことを話してくれました。知的「障がい者」のY子さんと一緒にいると、世間的な駆け引きを削り落としところで、純粋に生きているY子さんの、ありのままの姿によって自分が生かされ、Y子さんから、本来人間に与えられている美しいものを教えらますと。
 そして、大阪から横浜に転勤し、最近礼拝に来ておられるO兄の話がありました。毎日曜日決まった教会で礼拝を守れるということが、どんなに大きなことであるかということを、ここ数か月の単身生活で、いろいろな教会に行ってみて強く感じさせられたと。学校のことで4月から家族も一緒になったので、教会生活も家族で一緒に続けたい。礼拝の中で、ありのままの自分の心が溶け、見えてきて、み言葉を聞いて、その前にありのままになれる。それがあるから、礼拝が新しい一週のスタ-トになれるということをつくづくと感じていると。
 O兄の話を聞きながら、礼拝においてみ言葉の前にありのままの自分を受け取り、新しい一週へとスタ-トすることができる幸いを改めて感じさせられました。
 そして、N兄は、広島に仕事で出張した折、時間があったので広島の平和公園原爆資料館をめぐって、平和について考える時を持つことができたと話してくれました。以前に広島に行った時の記憶からすると、原爆資料館の展示の中に、日本の戦争責任を示す展示ブロックが多くなっているという感じがしたこと。ヒロシマのことを思うと、瞬間で地獄と化していく恐さを感じたと。日本が仕掛けた太平洋戦争はバカげた戦争だったが、その戦争を遂行した心理は、今もあるのではないかと思うと。