なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(62、復刻版)

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信」(62、復刻版)を掲載します。12月24日の船越教会のキャンドル・サーヴィスに出席した大分以前に船越教会の礼拝にも来ていた方が、自分もかつては社会的な運動をしていたが、ある時期から離れている。それは社会的な運動をやっている人の中には、心病んでいる人や様々な痛みを抱えている人への眼差しが欠けているのではないかと思えたからであるというのです。これは1970年前後の学生運動においても、セクトの中では女性差別が平気で行われているという批判がありましたが、そのことに通じるように思われます。社会変革をめざす人が人の痛みへの共感を欠いてしまうというのは、ある種の自己矛盾ではないかと思いますが、その自己矛盾に私たちが陥る危険性があることを十分自覚しておかなければならないと思います。最も小さくされている人の解放がそのような人を再生産している社会の変革に繋がるのではないかと思います。
 さて 明日は滋賀の方に出かけて2泊しますので、明日のブログはお休みさせてもらいます。悪しからず。           

        黙想と祈りの夕べ (通信 62[-10] 2000・12・3発行)

 前回の「黙想と祈りの夕べ」の「分かち合い」では一人の姉妹から、当日の「通信」にあったガンで限りある短いであろう命を受け容れて日々の生活を送っている方のことを読んで、自分が今直面している末期ガンの友人のことと重なって考えさせられたと、以下のようなお話がありました。

 先月友人と二人で東村山にいる末期ガンの姉妹をお訪ねした。彼女は自宅療養で、抗癌剤を受けていない。すでに医者からは後1か月と言われていた。しばらくお話をして、別れるときに、今度は天国で、と言って別れて来た。子どもたちもそれぞれの生活に戻り、今は夫婦二人だけとのことだが、気になって今日電話したら、夫が出て、彼女にかわりますと言って、彼女が受話器に出た。10分ほど話せた。彼女は、「今詩編23編を覚えようとしているのだが、なかなか覚えられないのよ。Yさん、教会に行くのでしょう。お祈りしてよ-」と言われた。今日の「通信」で同じような方がいることを知った。彼女は熱心なクリスチャンで、冷静に死を待ち、恐れなしに淡々と日々を過ごしているようだ。週2回ホスピスの看護婦さんの訪問を受けて、夫婦二人で静かに生活している。自分だったらどうだろうかと思うと、いろいろ考えさせられる。今日はまた、別にハ-トサロン(精神を患っている人の会?)が開いていて、障害をもった子どもさんをあずかった。精神を患った人から、さびしいんだという電話があり、この会に誘ったら、その方が来られた。話をし、その後ランドマ-クに絵の展覧会があったので、一緒に行った。その人はお花と木の絵の前に立って、いいね-、と感動していた。桜木町のバス停で、バスが来るまでお話をし送った。この青年はまじめで、どこの作業所でも、ごめんなさい、という言葉が出てしまう。家にいないで、一日一回でも外に出ようね、と声をかけた。自分の周りにいろいろな人がいることに気づいていきたいと。

 続いて、期せずして二人の方からMM21で開かれていた「ロボテック2000」に行った感想が述べられた。この日の礼拝後には「学びと語らいの集い」で教会の将来について共に学び考えたが、ロボット展では近未来の私たちの姿を想像させられた。ロボット展に出展されていたロボットの中には、介護用ロボットもあって、声も出て、手も柔らかで、大変よくできている。来ている人もそれぞれ楽しげに時を過ごしているのが伝わってくる。ロボットの犬や猫もあったが、たまたま犬も猫も自宅で飼っていて、実物をなでているので、ロボットの犬や猫をなぜても快感はなかったが、何だかワクワクしてきた。今後人口が逆三角形になって高齢者が多くなっても、ロボットに世話されるような将来を予想し、ある面ではどんな形になるか楽しみである。科学技術の進歩による利便性の将来は見えるように思うが、教会の将来はなかなか見えない。けれども、ひとりの魂を丁寧に受けとめていくといメンタルな面はロボットでは不可能だろう。愛からくる温かさ、人間の肌の温かさはロボットでは無理だろう。いろいろな人と共に生きていくところで、教会はこれからも用いられていくに違いないと確信した。それにしても科学技術の進歩は驚くべきものがある。鉄腕アトムは2003年に生まれると言った手塚治虫はいい線をしていたのではないか。10年前には二足歩行は不可能と言われていたが…、すごいと。

 確かに技術の進歩は止めようとしても止まらないでしょう。しかし、人間は古代も現在も将来も余り変わらないのではないでしょうか。