なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マルコ福音書による説教(32)

    マルコ福音書による説教(32) マルコによる福音書8:27-30
               
・今日のマルコによる福音書の箇所では、イエスが自分自身の方から弟子たちに向って、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と問いかけた、というのです。これはどういうことでしょうか。

・マルコによる福音書では、少なくとも8:28までを読むかぎり、このような問いがイエスによって弟子たちに直接向けられたことはありません。もちろん、人々の側から、一体イエスという方は何者なのか、という問いが起こったということは記されています。たとえば6:14以下には、8:28の弟子たちの答えと全く同様に、イエスのことを、ある人々はバプテスマのヨハネの再来として、ある人はエリヤとして、またある人は昔の預言者の一人であるというように、それぞれ勝手に把えていたということが述べられています。また、イエスの奇跡物語の中に、ガリラヤ湖を渡っていたイエスと弟子たちののっていた舟が、激しい突風のために沈みそうになった時の物語があります。弟子たちがあわてふためいていたとき、舳の方で眠っていたイエスが起き上がって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになったというのです。その物語の最後に、弟子たちが「いったい、この方はどなたであろう。風や湖さえも従うではないか」(4:41)と言った、と言われています。嵐や大波を静かにさせたり、当時のユダヤ人にとってはこの上ない大切な安息日の禁止命令をさえ、神に造られた人の命や生活に即して、自由に乗り越えて行くイエスに触れた人々が、このようなことをし、このように教えるこの人は、一体何者なのか、と思ったのは当然かも知れません。イエスがなさることやイエスが語る教えは、イエスという方は何者なのかという問いを人々に起こさせる程のものであったのでしょう。

・しかし、今までそのような問いが、人々や弟子たちの中で起こったとしても、極めて表面的なもので、例えば私共が誰か突出した人物に対して抱く、あの人はどういう人なのだろうか、という程度のものであったと思われます。

・イエスに対する一般的評価や噂では、全く自分自身が問われなかった弟子たちでありますが、このイエスの「それでは、わたしを何者だと言うのか」という弟子たちに突き付けられた問は、弟子たちがイエスに対して観察者や傍観者のままであることを許さないものをもっています。「わたしを何者だと言うか」ということは、一体お前は何者なのだというのかという弟子たち自身への問いでもあるからです。

・みなさんは、身近な者から、「「一体私を何だと思うのよ」という言葉を投げ掛けられたことがないでしょうか。これは、大変きつい言葉です。私は、妻からも、子供からも、そういう問い掛けを受けたことが何度もあるように思います。実際に、言葉としてはなかったとしても、からだからそういう言葉を発しているように感じたことが、何回もあります。いじめを必要に受けて自死に追いやられて行くこどもの存在は、「一体わたしを何だと思うのよ」という叫びに満ちているのではないでしょうか。激しいいじめにさらされてゆくこどもは、神から与えられた自分のかけがえのない命を、か弱い自分の手では守れなくなってしまうのだと思います。いじめによって死んで行くこどもの存在は、かけがえのない、そして自分の命を自分で守る力のまだ充分に育っていない無防備な命を、生かすことも、守ることもできない私たち大人に対する問い掛けではないでしょうか。その問は、「一体あなたがたはわたしを何者だと言うのか」というイエスの弟子たちに向けられた問いと、どこかでつながっているように思えてなりません。

・ペテロは弟子たちを代表して、「あなたはキリストです」と答えました。この答えは、形式的には正しい答えですが、8:33との関連でみますと、マルコの福音書の著者は、言葉だけを整える表面的なものとして見ているかも知れません。「わたしを何者だと言うか」という問いに答えるということは、イエスとの生命的な交わりの中に入れられることです。その交わりの中で、自分自身でも気づいていない自分自身の姿が掘り起こされることになります。ここに、この問いが持っている最も大きな意味があるのだと思います。「あなたはわたしを何者だと言うのか」と、イエスは弟子たちに問い、また私達一人一人に向かって問いかけているわけですが、その問いかけに対して、「あなたこそキリスト(救い主)です」と告白することによって起こる出来事は、イエスとのかけがえのない交わりの成立です。信仰の確かさとはここにあります。

・ただ、しばしば私達の陥る問題は、「わたしを何者だと言うのか」というイエスの問いにおける、この「わたし」と言われているイエスご自身を見つめる眼を、どこか横にそらせながら、表白した結果としての信仰告白の文章を絶対化するという誤りです。「イエスはキリストである」と言っていれば、信仰告白であるかのような誤解は、十分に警戒しなければなりません。「わたしは何者だと言うのか」という問いにおける「わたし」であるイエスご自身は、弟子たちにとっても、私達にとっても決して自明な方ではないからです。

・A.シュラッタ-は、「…イエスに対する弟子たちの信仰が固く確かなものになっており、イエスがキリストであり、永遠に私達の主、また指導者であり、このお方を通して私達は神の国に立つのだとの認識が、全くはっきりと、ゆるがないものになっていなければ、イエスと共にエルサレムに向かい、苦難の道にあってみそばにとどまることはできなかった」と言っています。シュラッタ-は、そう言うことによって、このマルコによる福音書の記事において、「あなたはキリストです」という告白と、イエスの最後が死刑であることの予告とが緊密に結びつけられている意味を述べているのです。

・「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」というイエスの問いに答えるということが、どれだけ重要なことであるかを考えさせられます。あらゆる状況の中で私達を引き上げるのは、私達の単なる努力ではないように私には思えます。イエスから目を離さずに、彼を見続けるということは、先程も申し上げましたように、それ自身奇跡でありますが、どんな時にも手放さないイエスとの関係によって、奇跡を起こし給う聖霊の働きが私たちの中に起こることを信じます。

・戦時下の教会やキリスト者が日本国家の戦争に協力したという戦争責任の問題を考えさせられますが、私は、教会やキリスト者個人がイエスから目をそらせたことが、その誤りを犯した最も大きな原因であったと思えてなりません。「あなたはキリストです」にしろ、「あなたは主である」にしろ、信仰告白は、イエスとイエスの父なる神以外には、私たちの究極的なよりどころを持たないという決断です。

・先日、連れ合いと一緒に「“私”を生きる」という映画を渋谷の映画館で観て来ました。この映画は3人の方が東京都の教育委員会による処置を不当として行った裁判を扱ったものですが、それぞれ“私”を大切に生きている3人の方々の生きざまに焦点を当てて描かれています。2番目に出て来ました佐藤美和子さんはキリスト者の方で、国立の小学校の音楽の先生でしたが、信仰上の理由で君が代伴奏を拒否した方です。ご存知のように君が代天皇制そのものですから、佐藤美和子さんはキリスト者で、ご自分の祖父が牧師を務めた教会の初代牧師は、戦時下、当局に拘束され、「天皇とキリストとどちらが偉いか」と問われ、キリスト者としての答えを率直に述べ、拷問死しているという経験をしています。

・この映画の監督土井敏那さんのWEBコラムに「音楽教員、佐藤美和子さんの闘い」というコラムがあります。その中に、佐藤美和子さんの言葉を紹介していますが、それによりますと、佐藤さんは『君が代』を拒絶する理由を、「自分の身体の中を流れる血が天皇制の強制、服従、抵抗を経験してきた、それを経た私なのかなあと思うんです」。「そういう教会が一度は『君が代』を強制される歴史を持っていたり、そこには天皇制に服従するような歴史をもってきたものだったということを考えたとき、私は漠然と『君が代』伴奏はできないと思っていたけど、やっぱり私の血が拒否していたんじゃないかなあ。それを知れば知るほど、『君が代』を受け入れたら、私が私でなくなるし、受け入れることはありえないんだなあと思うんです」とおっしゃっています。君が代の伴奏を拒否した後に、佐藤さんに、さまざまな“報復”が始まる。校長は、「学級担任になるように」と勧めた。「君が代」を弾かないから音楽専科でいられたら困るからだ。それは「音楽を通して子どもと接していたい」という佐藤さんの願いを踏みにじろうとする行為だった。

・学校を異動させるための嫌がらせも、あからさまだった。校長から「公務員なのだから、当然、『君が代』は弾くべきだ」と強要を繰り返されるなか、佐藤さんは「音楽の教員を続ける限り、そう言い続けられるんだ」と思い、死の誘惑に駆られたこともある。「『君が代』の無いところへ行ければいいなあ。それは学校ではなく、死んだ世界しかないのかなあ、ふとそう思ったんです」

・『君が代』を弾かない自分に、校長も、市教委も区教委による度重なる報復に、胃の8箇所に出血、うち2箇所が動脈出血を起こすほどだった。「勢いよく血がピューと噴き出している」と医者に告げられた。佐藤さんは3週間入院した後、6ヵ月間の病休を取った。その後、職場復帰し、「『君が代』を弾かない音楽専科」を貫いています。

・佐藤美和子さんにとって、君が代の伴奏はできないという彼女の中に流れる血からの拒絶は、彼女と先達を通したイエスとの絶対的な関係からのものではないでしょうか。彼女にとって、厳しい仕打ちに負けないでキリスト者としての「“私”を生きる」を貫くことが信仰告白だったのではないでしょうか。

・自己表出としての信仰告白の厳しさを思わざるを得ません。