なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

明日の裁判を前にして

               明日の裁判を前にして

 いよいよ明日私の裁判の第一回口頭弁論が東京地裁で行われます。弁護士から教団側からの答弁書準備書面(1)が届きましたが、それを読む限り、教団側は仮処分申立のときと同じように、政教分離による宗教団体の自治と、戒規免職は教会法の訓練規定によるもので懲戒免職処分とは違い、北村はその点を全く誤解しているという、二つの論点に立って、手続きにおいても違法性はないと主張してきています。
私は、裁判とは別に、教団内部の運動として、そのような教団側の主張の根底にある信仰観、教会観、組織論を問題にしていきたいと思っています。教会は、イエスを友とする兄弟姉妹団だと私は考えていますが、現在の教団執行部は教会を信仰告白と教憲教規に基づく一致による統制的な宗教集団と考えているようです。私の戒規免職処分が起こる前までの教団の全体的な方向性としては、教団は多様な信仰観、教会観、宣教論を内包している教会で、一致を求めて合同への道を共に歩む形成途上の教会という理解が、一応教団全体として共有されていたように思われます。ところが、2000年前後から、教団内グループとしての福音主義教会連合と連合長老会が東神大と一体化して、教団のヘゲモニーを奪取し、自らの考え方によって教団を統制しようという動きが顕著になってきました。その延長線上に、私の戒規免職処分が起こりました。

 何故私なのかということからすれば、上記三者が70年以来から懸案であった教団のヘゲモニーを奪取した頃に、のこのこと70年以来の問題提起を継続して受け止めながら、教会形成、教団形成を志向している私のような者が教団政治に顔を出してきたからではないかと思われます。私は、2002年の教団総会から教団政治に関わるようになり、2004年からは常議員の一人として常議員会に出るようになりました。最初の頃は、常議員会の議事のやり方が余りにひどかったので、常議員会の私的報告を教団の全教会に配布したりしました。或いは現在の教団執行部の考える教団の在り方とは全く対照的な「日本基督教団マニュフェスト」のようなものを教団総会議員に配布して、教団の教会としてのあり方について問題提起をしたりしました。この「日本基督教団マニュフェスト」は何れ機会を見て公にしたいと思っていますが、イエスの姿勢である「最も小さくされた人」に仕える教会として日本基督教団を構成したら、どのようなものになるのかを思いつくままにまとめたものです。私は現在70歳になっていますので、今後働けても僅かの時間です。そこで若い方々に全体教会を含めた教会のあり方について、こういう風にも考えられるのではないかという例証の一つとして参考にしてもらえないかと思って、教団総会議員に配布しました。これらの私のアクションが現教団執行部側の人からすれば、目障りだったと思われます。相互批判を通して真実を一緒に追究する仲間の一人からの問題提起として受け止めてくれれば、目障りでもなんでもなかったと思います。しかし、自分たちの考え方を絶対化する現教団執行部側には、残念ですがそれだけのキャパシティーがありませんでした。私は東京神学大学出身者ですし、同志社大学神学部でも関西学院大学神学部出身者ではありません。戒規免職処分者がもし同志社関学出身者であれば、神学校間に亀裂が入り、大きな問題になっていきますが、私であれば個人の問題に収斂させることができます。多分そういう読みもあって、洗礼を受けていない者にも自由に配餐している聖餐式をしている人は教団内に相当数いると思われますが、私をターゲットにしたのでしょう。ですから、聖餐の問題は私を戒規免職処分にして教団から排除するために便宜的に使われたという側面もあるように、私自身は思っています。

 さて、この時期には日本基督教団の諸教区では教区総会が開催されます。この教区総会で今秋開催の教団総会議員が選出されます。そこで私は4月10日付で教団の全国の教会・伝道所に資料を添えて以下の私信を発送しました。私は、私の戒規免職処分撤回もさることながら、日本基督教団が「主」と信じるイエスにふさわしい教会に形成されることです。もしこの私の思いを共有していただける方は、多くの方にこのことをお伝えいただければ幸いです。

    日本基督教団諸教会・伝道所及び
    教会員・教会役員・教職の皆様へ

 主のみ名を賛美いたします。

 昨年3月11日に起きました東日本大震災と東電福島第一原発事故によってお亡くなりになった方々のことを覚えます。また、被災者の方々の命が守られ、生活再建の道が整えられるように私たちが出来ることをしていきたいと願うと共に、被災された方々の上に主の支えと導きをお祈り申し上げます。
 
 さて私は一昨年2010年9月21日付で当時の日本基督教団総会議長山北宣久氏の名で日本基督教団正教師の戒規免職処分を受けました。しかし、私はその処分を不当として昨年2011年11月20日付で東京地方裁判所日本基督教団を提訴し、本年2012年4月26日に第一回口頭弁論が開かれることになりました。なぜ私が裁判に訴えなければならなかったのかについては、同封の「北村慈郎牧師を支援する会通信癸院廖特に支援会の代表世話人の関田寛雄牧師の文章と私の経過報告をご覧ください(支援会通信が既に送られている教会・伝道所には重複になりますがお許しください)。
 
 私の経過報告の中で触れています教師委員会の戒規に関する「改訂前の内規」(仮処分申請のとき教団側から出してきたものです)と「改訂後の内規」及び、第37/23回教団総会で一部議員に配布されたと思われます「議案ガイド」も同封しておきますのでお目通しください。
教師委員会の改訂前の「戒規に関する内規」では、当時私が主任担任教師をしていました紅葉坂教会の役員会も神奈川教区の常置委員会も私に対して戒規申立をする意志がありませんでしたので、私が戒規の対象になることはありませんでした。一委員会である教師委員会による「教団規則」とは言えない内規の改訂によって、宣教の現場である所属教会や所属教区以外の日常的な交流もほとんどない他教区の一信徒による戒規申立によって私は教師委員会で免職処分を決定されました。それを不服として上告しましたが、常議員会選出の審判委員会も教師委員会の決定を追認しました。しかも審判委員会の決定は委員5人のうち2:2のところ委員長の石橋秀雄氏のよる裁定で決まっています。

 第37/23回教団総会では同封の「議案ガイド」の通りにすべての議案が議決されていますが、そういう教団総会が教会会議と言えるのか、私にははなはだ疑問に思われます。この「議案ガイド」によって選ばれました、現在の教団議長は審判委員会の委員長、副議長は「戒規申立は誰でもできる」という道を開いた信仰職制委員会委員長、書記は教師委員会の中に作られた調査員会の委員長でした。従って現在の教団三役は私の戒規免職処分の貢献者です。
 
 この「議案ガイド」を同封しましたのは、今秋開催されます第38/24回教団総会に向けて、これから開催されます各教区総会で教団総会議員が選出されることになっていますが、是非この種の「議案ガイド」なるものに左右されないで自主的な判断で議事に参加できる方を教団総会議員に選出していただきたいと願うからです。自主的な判断力と信仰的な良心を堅持する教団総会議員を構成員として持たれる今秋の第38/24回教団総会において、日本基督教団が本来の合同教会としての姿を取り戻し、私の裁判の結果を待たずに教団が私への戒規免職処分を撤回し、私との間に和解が成立することを期待しております。
 
 どうぞよろしくお願い申し上げます。
  
 末筆ながら諸教会・伝道所及び、教会員・教会役員・教職の皆様の上に主の導きをお祈りいたします。
 
                     2012年4月10日
                          日本基督教団「免職」牧師
                               北 村 慈 郎

(追伸)私の裁判に関心をもってくださると共に、ご支援をよろしくお願い致します。なお裁判傍聴にも、特に東京近辺にお住まいの方々、いらしていただければ幸いです。