なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マルコ福音書による説教(45)

        マルコ福音書による説教(45)、マルコによる福音書11:1-11、
            
・イエスが受難と十字架の死がまっていますエルサレムに入りましたのは、福音書の記事によりますと、ちょうど過ぎ越しの祭りの頃のことです。3月中旬から4月中旬の頃です。今年は4月1日の日曜日でした。教会暦の棕櫚の主日にイエスは子ろばに乗ってエルサレム入りしたことになります。

エルサレムという町は、イエスの時代のユダヤ人にとりましては、特別な町でした。エルサレムの町を抜きにして、当時のユダヤ人の生活内容を語ることができないと言われる程です(ダニエル・ロプス)。エルサレムにありました壮大な神殿は、「主(神)の家」として、隠れた神が、見える神殿の中に住んでおられると、信じられていたのです。その意味で、エルサレムは、ユダヤ人の救いそのものと関係づけられていた町でありました。

・『イエス時代の日常生活』という本の中で、ダニエル・ロプスは、次のように述べています。「まことにエルサレムユダヤ人にとって、ただの地上の都市、他のすべての都市の一つの町とは、おおよそ別個のものであった。それは救いの組織のなかの完全な部分であった。それは啓示と切り離すことが出来なかった。預言者イザヤは神自身がそのことを語ったと言った、『わたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ』(イザヤ書65:19)。神も町をその名によって呼び、その民が住むことを命じた(イザヤ44:26)。彼はこの町を選び、そこで礼拝を行わせた(歴代下6:6)。エズラによれば「唯一のまことの神は、エルサレムで人々が礼拝するものであった」(エズラ1:3)。聖なる都市は、聖書の歴史のあらゆる出来事に関係があった。それは、時の終末においてもなおそうである。すなわち、その時寄せ集められた人々は、約束の成就されるのを見るとされている。『その門は金をもって造られ、その道はオパ-ルとルビ-の宝石をもって舗装されるであろう』。そして至る所喜びの歌がひびきわたるであろう、『ハレルヤ、イスラエルの神はほむべきかな』(トビト13:17、18)」と。

・そのエルサレムにイエスは最後の時期に上られたのです。マルコによる福音書の著者は、10章33-34節の第3回目の受難予告の中で、はっきりとエルサレムに上って行くことがイエスご自身の受難と死につながることを、イエスが知っていたものとして記しています。そのような危険を承知で、イエスエルサレムに上ったとするならば、エルサレムの都入りにおいて一体イエスはどんなことを考えておられたのでしょうか。少なくともイエスは自分から、死を予期した上で、その活動の最後の時期エルサレムに上られたことは事実であり、エルサレムは、単なる偶然の出来事ではなく、イエスにおいては必然の行為であったと思われます。ある意味では、ガリラヤを中心としたそれまでのイエスの活動の「総決算」としてのエルサレム入りと考えられるのであります。とすれば、エルサレムにおけるイエスの受難と死と切り離した形で、イエスが教えを語り、病人を癒し、奇跡行為をされたと考えることはできません。

・わざわざエルサレムになど行かずに、「少数の同郷の人々との間にのみ知られたガリラヤの預言者として聖者なるイエス」は、ガリラヤという同郷のごく身近な困窮した人々の友として、終始する道もあったに違いありません。エルサレムに行って、権力の中枢と対決したり、宮清めといわれる神殿粛正の預言者的な行為をしたりしないで、地方的な預言者として、出来得る限り長生きして、より多くの病人や悩める人、貧しき人々を助けることも出来たでありましょう。そうすれば、十字架につけられて殺されることもなかったにちがいありません。実際そのような期待を持って、イエスに裏切られた思いをした民衆もいたことでしょう。しかし、福音書のイエスは、そのような道を選ばずに、エルサレムに上って行き、そこで死を賭して、彼の活動の総決算をしたのであります。その意味で、エルサレム入城から始まりますイエスの受難の出来事に注目したいと思います。

・イエスエルサレム入りは、結果的に当時の権力の中枢にあったユダヤ人の側の大祭司とロ-マの側のピラトからイエスが裁かれるという形で、彼らと対決することになります。イエスは政治的な対決を求めたわけではありませんでしたが、彼らは民衆を扇動して、自分たちの側に引き入れることによって、イエスを殺害するのです。そのことが、エルサレム入りしたイエスを待っていたのです。

・そのエルサレムに、イエスは子ろばの背にのって入っていきました。ロバは、戦争のために使われた馬に対して、平和を表し、謙虚さを表しています。ゼカリヤ書9章9節には、ちょうどイエスと同じように、ロバの子に乗る王のエルサレム入城が記されています。 「娘シオンよ、大いに踊れ。/娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。/見よ、あなたの王が来る。/彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗ってくる/雌ろばの子であるろばに乗って。」9章9節に続いて、9章16、17節には、「彼らの神なる王は、その日、彼らを救い、/その民を羊のように養われる。/彼らは王冠の宝石のように/主の土地の上で高貴な光を放つ。/それはなんと美しいことか/なんと輝かしいことか。穀物は若者を/新しいぶどう酒はおとめを栄えさせる。」

・外国支配によって苦しめられていた人々が、あらゆる抑圧にもかかわらず、神ヤハエの世界支配を信じ、苦しい現実と闘っていった、そういう信仰による闘いがこの予言を生んだのではないかと思います。イエスエルサレム入城が、このゼカリヤ書の予言にある王の入城と殆ど同じ姿で描かれている点に注意したいと思います。イエスの時代の人々、特に政治的・宗教的支配権力や財産を持たなかった民衆は、ピラトとヘロデが象徴しているように、ロ-マの直接的、間接的支配と、神殿を中心とした宗教的支配の下で苦しんでいたのです。当時の歴史的・政治的状況は、ゼカリヤの予言の時代と非常に似ていたと言えるでしょう。民衆は抑圧からの解放を求めて、メシヤの到来を待ち望み、 イエスエルサレム入城した際に、イエスはそのようなメシヤとして熱狂的に民衆に迎えられたことを、この聖書は伝えています。

・8-10節、「多くの人が自分の服を道に敷き、またほかの人々は野原から葉の付いた枝を切ってきて道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ホサナ(今、救ってください)。/主の名によって来られる方に、/祝福があるように。/我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福がありますように。/いと高きところにホサナ』。ホサナ(今、救ってください)との叫びは、本当に苦しんでいる人の叫びです。重い皮膚病を患っていた病人をはじめ多くの病人の叫びであり、遊女や取税人のような社会的に差別されていた人びとの叫びであり、一般のユダヤ人のようなローマと神殿支配体制による重税にあえぐ被支配民衆の叫びです。この民衆の叫びがイエスに期待したものは、政治的メシヤとしてのイエスの行動でありました。つまり、軍馬に乗って、ロ-マと戦い、ロ-マの支配からユダヤ人を解放させてくれる王であったのです。しかし、イエスは、そのような王としてではなく、ろばの子の背に乗ってエルサレムに入城した、謙虚で、柔和な平和の王として来られたというのです。

・ゼカリヤ書においては、ろはの子に乗る王の入城が、「彼らの神なる王は、その日、彼らを救い/その民を羊のように養われる。」という、地上の被支配者が支配者に、被抑圧者が抑圧者に代わるという政権交替ではなく、神の終末論的な永遠の解放をもたらすということでありました。イエスエルサレム入城も、マルコはそのような王の入城として描いているのです。つまり、イエスにおいて、神の平和が、救いが実現すると。

・群衆は、イエスをメシヤ(神から遣わされ、イスラエルを解放する王)としてイエスを迎えたように記されています。この群衆の姿には、異常な熱狂が見られます。それは「エルサレム」への期待の成就をイエスにおいて見ようとする群衆の心情にあると思われます。このイエスエルサレム入城は、過ぎ越しの祭りの季節でありました。無数の巡礼者の群れが、ユダヤ民族のエジプト脱出を祝うためにエルサレムをめざしていたと思われます。ロ-マ帝国の支配下にあった巡礼者たちは、現実には二重、三重の厚い抑圧の壁の中に閉じこめられていました。そのユダヤの民衆が、過ぎ越しの祭りにおいて、かつて先祖がエジプトで奴隷であったとき、モ-セという指導者を与えられてエジプトを脱出したその解放の歴史を祝うことによって、自由の空気を胸いっぱい吸って、終末への期待に希望をつないで行った姿を思い描くことができるでしょう。

・メシヤの出現において一挙に終わりが到来し、この世の秩序が逆転して、苦しめる義人が勝利することを、ユダヤ人は期待していたのです。ですから、ディアスポラユダヤ人として、バビロニアの捕囚の民として、執拗に自らの民のアイデンティティ-を守り続けました。そして歴史の逆転が到来する終末の日を待ち望んでいたのであります。そこには、頑なな程の選民意識(自分たちは神の民であって、他の民族の人たちとは違うという)があって、他の民族を排除して行ったのであります。

・そのようなユダヤ人の期待に対して、イエスエルサレム入りは、彼らの期待を満足させるものであったのでしょうか。イエスエルサレム入りは、ユダヤ人の期待とは全く違う仕方で、彼らの期待に応えるものであったように思われます。歴史の桎梏の劇的な転倒ではなく、イエスご自身において、その歴史の支配に従属させられない自由さを持った存在として、大祭司にも、ピラトにも屈伏しない、歴史を超越した神に従うひとりの人間としての己れを突き出すことによってです。

・イエスエルサレム入りにおいて、既に死を覚悟していたと思われます。それは、大祭司やピラトによる敗北の死ではありません。人が人としてこの世に生きる限り、その身にまとっている、病や死、権力に隷属することによって自己保身するところの自己中心性から、既に解放されている者として、その意味で全き神の支配下にある人間として貫徹する、イエスの固有な存在としての突き出しとしての死であります。

・それは、エルサレムの巡礼者たちが、またバビロニアの捕囚民が、その置かれた場の敗北を、幻想的にエルサレムに仮託することによる慰めとは、根本的に違います。歴史の大逆転としての劇的転換ではなく、今ここで、神の支配の下に立つことです。神の支配に優る権力者の支配こそ幻想であることを、イエスは苦難と死を耐えることによって物語っているのではないでしょうか。