なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(43)

 先週の木曜日の夜、私の裁判支援会事務局会で「公正判決を求める要請書」の形式および支援者への発送作業の確認をして、昨日16日の日曜日の午後3時から、今回は急ですので船越教会で作業をすることになりました。クリスマスの時期で、しかも日曜日ですので事務局の方々それぞれ教会の用事があり、事務局の方で集まることができたのは私を含めて4名でした。礼拝後船越教会の方数名にもお手伝いいただいて、午後5時過ぎには813通のメール便を完成させ、集めに来てくれたヤマトの人に託することができました。

 さてその作業中にある方から連絡が入り、私を戒規免職に付すようにと教団教師委員会に申立てた申立人であるKさんが癌でお亡くなりになったことを知りました。何れ私の裁判が実質審理に入っていくことがあったら、Kさんには確かめたかったことがありました。それは、私を戒規免職処分に決めた当時の教師委員会が、教師の戒規を提訴できるのは教会役員会か教区の常置委員会で、教会役員会の場合は教区の常置委員会を通す、ということを明記してあった「戒規に関する内規」を変えて、提訴者を限定する項目を削除し、「要請があれば・・・」ということで、誰でも教師を戒規にかけるように教師委員会に訴えることができるようにした約2週間後に、Kさんが申立者となり、当時の信徒常議員6名が賛同者となって、私を戒規にかけるようにと教師委員会に申し立てました。

 私が、Kさんに確かめたかったことは、一委員会内で決定された内規の変更を、なぜ2週間前後で委員以外の者が知ることができたのかということです。当時私は常議員の一人でしたが、教師委員会の内規変更は10月の常議員会ではじめて知りました。その常議員会で私が戒規にかけられていることも、はじめて知りましたが、その時に教師委員会の内規の変更も初めて知ったのです。

 教師委員会の私に対する戒規決定後、私は上告しました。常議員会で審判委員が決まり、その委員会で私の上告が諮られましたが、審判委員会で上記の問題を含めて、私の戒規決定が民主的な手続きで行われたものであるか否かについての検証はほとんどなかったように思われます。

 Kさんの帰天には私の中に忸怩たる思いがありますが、これも限界ある人間の営みなのでしょうか。

 
 さて、今日は「牧師室から(43)」を掲載します。


                  牧師室から(43)

 先日ふとテレビを観ていましたら、たしか朝食を家族で一緒にする運動をしているグループだったと思

いますが、子どもや親に現実のそれぞれの家での朝食の絵と、自分が理想とする朝食の絵をかいてもらっ

たそうです。ほとんどの子どもの現実の家での朝食の絵は、子どもが一人で食べている絵でした。そして

子どもの理想とする家での朝食は、家族がみんな一緒にテーブルを囲んで食べている絵でした。その絵か

ら子どもたちは家族団欒の中での朝食を望んでいることが伝わってきました。ところが、お母さんの方の

理想的な朝食の絵には、食事の献立としての栄養のバランスのとれた朝食の絵が多かったというのです。

理想的な朝食に関する子どもと母親との間にあるこの思い違いに、私ははっとさせられました。テレビで

は、その問題には触れずに、現在の多くの家族で朝みんなが一緒に朝食を取るためには、各自の起床の時

間を早くする以外にないので、せめて休日の日くらいは、朝食をみんな一緒にするようにしようというこ

とでした。

 私は、子どもと母親の理想的な朝食についての思い違いに表れている問題について考えさせられまし

た。こういうすれ違いは、あらゆる他者との関係にあるように思えたからです。それは教会でも同じで

す。発言しない人の思いは、無いものとされがちですし、強い人の発言が事柄を進めがちです。福音の真

実を大切にする教会では、聴く(聞く)ことの大切さを失ってはならないと思いました。

                                      2002年2月

 我が家では、夏場には外にあった幾つものシンビジュウムの鉢が秋口から居間に入ります。一、二を除

き殆どは贈り物としていただいたものか、育てられなかったからと言って、他の人からもらったもので

す。十鉢前後が所狭しと居間の窓側を占領します。確か第一号は、私たちが当教会で伝道師をしていた時

に、日曜学校の出身者の結婚式があって、彼らからもらったものです。26年前になります。それは横浜→

名古屋→横浜と住いを変えました。今年は、娘の知人がお店を出して、お祝いにいただいた胡蝶蘭が数鉢

加わりました。やはり育てられないからと、花が咲き終わった後にもらって来たものです。昨年暮れに私

の姉が、この春に長年経営してきた薬店を閉めるというので、そこにあった温室をくれました。今は牧師

館の居間に置かれ、娘の知人からもらった胡蝶蘭が入って、二番花をきれいに咲かせています。そろそろ

終わりかけています数種類のシンビジュウムの花と、咲き出した白とピンクの胡蝶蘭の花が、今も楽しま

せてくれています。手入れをしている妻は、植物は裏切らない、それぞれの草花に適した手のかけ方をす

れば、必ず期待に応えて、花を咲かせてくれると言います。

 最近第二の自然である私たちの社会で頻繁に起きています人命軽視の事件のことを思います。人の命を

育む力の弱さを感じます。かつて私の青年時代には、教会は際どい青年の魂を温かく育む熱があったよう

に思います。今はどうでしょうか。
                                      2002年3月

 かつて日本の国は、「大東亜共栄圏」という虚構によって、アジアの民衆を抑圧し、多くの人々を殺し

ました。国家や支配者のつくる虚構の恐ろしさを、私たちは経験してきましたが、アジアの人々のように

完全な被害者として足を踏まれた側ではなく、踏んだ側でありましたので、その痛みをそれほど持続して

感じているか、はなはだ心許ないものがあります。特に自由主義史観に立つ歴史教科書などが現れるの

は、加害者としての責任の希薄によるものと思われてなりません。あるいは、一人一人の人間の立場から

物事を考えるのではなく、国家を前提にした思考からのものでしょうか。

 最近読んだ本に、アメリカ的な「平和と繁栄」や「自由と民主主義」の虚構について記されていまい

た。「アメリカ的平和は、海の向こうの諸国・民衆に対する自らの政府と軍隊の度重なる侵略戦争と民衆

虐殺行為によってのみ守られてきた『平和』ではないか」。「アメリカの権力者が…『防衛』しようとし

ている『自由と民主主義』それ自体が、アメリカ内外における多くの労働者・勤労大衆や少数民族に対す

る抑圧と暴力と収奪を隠蔽するために謳いあげられているそれではないか」。そして、アメリカ人は、

9・11同時多発テロのように「なぜアメリカはこんなに憎まれるのか?」ということを、自らの胸に

手を当てて考えるべきだ」と。

 事実に即し「自らの胸に手を当てて考える」ことの大切さを痛感しています。

                                        2002年4月