なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

キャンドルサーヴィス説教

 今日は、24日の夜に船越教会で行ったキャンドル・サーヴィスの時のメッセージを掲載します。当日の

実際の説教は、原稿の通りではありませんが、このブログには原稿のままの説教を載せます。    


    「ここに愛がある」ヨヘネ第一4:7-14、

                  2012年12月24日(月)キャンドルサーヴィス説教
 
・人が苦しむのは、二つの原因があるように思われます。

・一つは、病気や死の恐れ、この中には自然災害も含まれていますと考えてよいでしょう。病気は医療がどんどん発達してきていますが、それでも現在でも医学の力によっても克服できない病気があります。IPS細胞の研究が進めば、治らない病気はなくなるかも知れませんが、それはどうなるか分かりません。死の恐れに苦しむことも、人間には避けられません。自然災害についても、どんなに人間が防災に力を注いでも、完全に自然災害を防ぐことができるとは思われません。そういう意味で、病気や死、自然の災害は私たちにとって恐怖であり、それに襲われた時には誰もが苦しまざるを得ません。

・もう一つの苦しみは、競争にしても争いにしても、人間関係の中での苦しみが私たちの中にはあります。国家や民族間の戦争による苦しみもその一つと言えるでしょうが、身近な夫婦、親子、友人、知人、近所の人同士の間で憎しみ合ったり、争ったり、場合によっては殺し合ったりということが、私たちの中ではなくなることがありません。

・病気や死や自然災害による苦しみは、人間の営みを超えてやってくるところがありますし、その人がどのような人であるかどうかに関わりなく、誰にでも襲ってくるものだと思います。けれども、人間の憎しみや争いによる苦しみについては、そもそもこの苦しみは人間の営みから来るものですから、私たち次第で避けることが可能な苦しみと言えるのではないでしょうか。

・今日はクリスマスの夜です。私たちはイエスさまの誕生を覚えて、ここに集まって礼拝をしています。このクリスマスの主人公である、イエスという方はどんな人だったのでしょうか。昨日は日曜日で礼拝がありました。そこで私は、イエスは〈いのち〉を生かす神の働きに身をゆだねて生きた人であるということをお話ししました。新約聖書福音書を読んでみますと、イエスは病気の人を癒し、悪霊に憑かれている人から悪霊を追い出したと言われています。また、当時のユダヤの社会で差別されていた「罪人」と呼ばれていた律法違反者とよく食事を一緒にして仲良くしました。これらのイエスの活動は、苦しんでいる人や、悲しんでいる人の命を生かすためのものでした。

・あなたは一人ではないのだよ。病気に負けないで元気をだしなよ。もし一人で辛かったら、私もあなたと一緒にあなたの病気を背負って歩んであげるよ。だから苦しいときは一緒に苦しもうよ。嬉しいときは一緒に喜ぼうよ。そういうメッセージをイエスは病気の人に向かって発信し、親身になってその人と一緒に歩まれたのではないでしょうか。

・このようなイエスの他者に対する姿勢は、その人に自分が本当に大切にされているということを思い起こさせて、その人の命を生かす神の働きをしていったと思います。

イスラエルの人々が大切にしてきたモーセ律法と言われます「十戒」の中に「父母を敬え」という教えがあります。これは目上の者を敬いなさいというだけの教えではありません。父母は子どもにとっては、ある意味で神の代理人という意味合いがあります。つまり神に代わって、この世に誕生した子供の命を生かす神の働きを担っているのだという理解です。お母さんから生まれたばかりの赤ちゃんは、無力です。お母さんがお乳をあげたり、おむつを替えたりしないで、ほっぽりぱなしにしたら、その赤ちゃんの命は生かされず、必ず死んでしまいます。2歳ぐらいまでお母さんとお父さんによって、両親がいない赤ちゃんの場合には他の大人の保護者によって大切に育てられた赤ちゃんは、その間命を生かす働きである愛情を十分に受けているので、青年期になっていろいろな悩みにぶつかっても生き抜くことができると言われています。自分の与えられた命を生かしてくれる愛をいっぱい注がれて育った人は、自分の命も人の命も大切にして生きていくようになるのでしょう。だから「父母を敬え」という教えがあるのです。

・このように考えますと、憎しみや争いによるお互いを傷つけ合う関係ではなく、泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶ、お互いに支え合い、赦し合い、分かち合う関係には、「〈いのち〉を生かす神の働き」が実現していると言ってもよいでしょう。

・現在の私たちの社会は、夫の妻への虐待(ドメスティック・バイオレンス,DV)、両親の子どもへの虐待、子ども同士のいじめという虐待が日常化しています。そのためにたくさんの人たちが苦しんでいます。「〈いのち〉を生かす神の働き」が何よりも求められています。

・先程読んでいただいたヨハネの第一の手紙が送られた教会にも憎しみや争いによって、仲間が一つになれず、別れ別れになっていたようです。この手紙中にこのように記されている所があります。「彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。しかし、去って行き、だれもわたしたちの仲間でないことが明らかになりました」(2:19)。ですから、このように教会の中に分裂を起こさせる「反キリスト」について警告し、教会内で相互に愛し合うように勧めているのです。

・4章7節以下をもう一度読んで終わります。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内に全うされているのです」(4:7-12)。