なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(167)復刻版

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(167)」復刻版を掲載します。


      黙想と祈りの夕べ通信(167-10]2002.12.8発行)復刻版


 先週この集いにも時々出席する青年から電話がありました。彼はたまに私のところに電話をくれます。

その時の内容は、彼の高校時代の友人から電話をもらい、リストラされ、ローンなどの借金の返済に困

り、自己破産して、妻の実家にやっかいになっているというのです。これからフリーターで食いつなぎな

がら、少しでも借金を返済したいと言っていたと。彼は友人の身にリストラが現実に起こったことに驚き

と不安を感じたようです。自分もリストラされたら、故郷の両親のところに帰って、フリーターをしなが

らやっていきたいと言っていました。彼はこの黙想と祈りの夕べでの祈りの時に、今までもよく現在の不

況の中でリストラにあった人のことを覚えて祈っていました。私は彼の電話を受けながら、私たちの社会

が安心して誰もが生活できるようになるために、考え、祈り、なすべきことがあればなしていきたいと思

いました。

 上記の私の発言に続いて、伝道師からの発言がありました。先日、教会形成においてマネイジメントは

必要か、という話を聞いた。話そのものは不満だった。講師は社会的な働きは教会にとって二次的なもの

だと言っていた。一時間半の講演だったが、身振り手振りが入り、話は途切れなかった。しゃべる能力に

は感心した。人に伝えるためには話術も大切であると思った。諸教会のホームーページを開くと、いろい

ろな面白いものがあるが、メールは受け付けていない教会が多い。御用の方はお電話くださいと。教会と

して情報を発信していく可能性としてのパソコンの利用を含めて検証していく必要を感じている。インタ

ーネットをいかに利用していくか、一度よく考えてみたいと思わされた。

 一人の方から発言がありました。先週この集いの後、家に帰ったら、家の様子がいつもと違うのでびっ

くりした。次男と上の娘が来ていて、その子の就職が決まったという報告があった。その子は小学生の頃

いじめに会い大変だったので、ここまで成長したのかと思い,嬉しかった。福祉の仕事に進むようだが、

自分としては祈って応援していきたい。

 また別の方からの発言がありました。喜びを分かち合いたいと思い、お話意したい。前に出席していた

教会での友人のことだが、彼は年金が付くまで社会人であったが、その後聖書神学校を出て牧師になっ

た。今年の7月頃に牧師の研修会があり、朝帰る途中で自分が加害者として交通事故をおこしてしまっ

た。ダンプに正面衝突。自分の乗っていた自動車は大破したが、幸いエアーバックの作道で命は助かっ

た。一週間意識が無い状態があり、それから少しずつ回復し、言葉も出てきて、半身不随から今はスタス

タ歩けるようになった。しかし記憶の蓋が開かず、これから牧師としてどうやっていくのか、私も7月、8

月は必死に彼のために祈った。それから段々とよくなっては来ている。今は以前作った説教を読むことが

できるようになっている。小さな教会の会員の人たちは、祈って待ちますと言ってくれているようだ。3

月がターゲットになると思うが、心静かに祈っているところだ。今日教会から帰って彼に電話したら、記

憶が少しずつ戻りはじめていると、喜んでいた。牧師としての仕事と、幼稚園の園長も兼ねているが、こ

れから彼がどうなっていくのか心配だが、神さまが少しずつでも彼の回復を見せてくれているように思

う。教会の人も待ってくれていることがうれしい。




         「大頌栄」(『ルターによる日々のみことば』より)

 
  「今や、われらの神の救いと力と国と、神のキリストの権威とは、現われた」
   
                                 黙示録12:10

 悪魔が、キリスト者との戦いの結果、征服され、天上のキリストの国から投げ出される時、神に感謝す

る全被造物の喜びはかぎりなく大きく、「今や、われらの神の救いと力と国と、神のキリストの権威と

は、現われた」と歌います。そこで神ご自身が両者をいっしょにし、神の国と、力と、権威は、キリスト

にも所属するようになります。すなわち、父なる神と、子なる神と、み子なるキリストに属するひとつの

神の国、力、権威が存在するようになるのです。この讃美は、戦いと争いが終わり、キリストの国がきよ

められ、聖とされ、悪魔のいつわりが恥ずかしめを受けた時、湧き上がってくるものです。しかも、この

讃美と感謝は、小羊の血によって打ち勝ち、主のために生命を惜しまなかった人々から湧き上がります。

それゆえ、主はこのように讃美と感謝を求められます。「天よ、喜べ。キリスト者よ、喜べ。あなたがた

はこの主の国であり、主のおられる天に住むからである。あなたがたは古い龍と戦いぬき、勝利をかちと

った。それはあなたがた自身によるのでなく、この小羊の血によってえたのである。その血が働き、勝利

をえさせたのである」。

 しかし、この勝利のためにキリスト者がその生命をかけなければならないことは事実です。主が、「彼

らは死に至るまで、おのが生命を愛さなかった」とおっしゃっているとおりです。それゆえ、悪魔がこの

救い主キリストの力と勝利により、完全に投げ捨てられるまで、キリスト者は生きるも死ぬも、その信仰

とあかしを通じて堅く立ち続けなければなりません。この究極の目標を全聖書はさし示し、すべてはこの

神の子によってなされなければなりません。主はわたしたちのために人となられ、その血を流され、それ

によって悪魔と、その軍隊と武器と罪と死とよみとを足の下に踏みつけ、そして主の喜ばしい来臨によ

り、わたしたちをこの信仰の戦から永遠の安全と、祝福されたみ国の栄光にいれてくださるのです。
                                    
                                        アーメン。

                              1544年の説教から