なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(97)

         船越通信癸坑掘 。横娃隠廓2月24日       

・17日の日曜日は、礼拝後お茶を飲みながら、懇談する人、24日のフリーマーケットの準備をする人とそれぞれでしたが、連れ合いは、その日午後2時半から藤沢教会で行われた教育部主催の子どもフェスティバルに参加すると言って、一足先に船越教会を出て行きました。子どもフェスティバルでは、イエスエルサレム入場の場面をみんなで演ずるために、実際の動物のロバを20万円を出して借りたそうです。連れ合いは、ロバではなく、そこで使われる木で作られた大きな十字架を3月20日の平和フェスタで使わせてもらうために、平和フェスタ実行委員会から頼まれて、その十字架を見聞しておくために子どもフェスティバルに参加しました。ロバの効果があったのか、子どもフェスティバルには190人ほどの参加者があったそうです。私は連れ合いが船越教会を出てからしばらくして、まだ3人の方がフリーマーケットの準備をしていましたが、失礼して鶴巻に向かいました。

・18日(月)は、午後4時ごろから小田原教会で、平和フェスタの案内を神奈川教区の107の教会・伝道所に送る発送作業を連れ合いと小田原教会牧師のSさんとやるというので、私も手伝いに行き、その後Sさんのご家族と一緒に夕食を共にし、交わりの時を持ちました。4月から幼稚園の年長組になる上の男の子と、やはり同じ幼稚園の年少組に入るという下の男の子の二人の子どもの、じゃれ合うそのエネルギッシュな様子を見ているだけで、そういう光景が本当に久しぶりでしたので、S夫妻とはそれほど言葉を交わしませんでしたが、満ち足りた気持ちになりました。午後8時過ぎに失礼して、鶴巻に帰りました。

・21日(木)は午後3時頃船越教会に着きました。その夜の聖書研究の準備は済ませてありましたので、午後3時半ごろから約2時間、24日に予定しています船越教会のバザー(フリーマーケット)のチラシを400枚ほど教会近辺の家のポストに入れて回りました。いわゆるポスティングです。一軒家やマンションのポストには、たまに「チラシお断り」をわざわざ書いてあるものもありますので、そのような断り書きのあるポストには当然チラシは入れませんでした。このチラシの裏には、下記の様に礼拝への招きの言葉と船越教会への略図も入れておきました。

・「フリーマーケットのお知らせと共に:もしこの社会の中で苦しんでいる人がいましたら、この社会に自分を合わせてうまく生きる道を探すことから、自分らしく生きる道を探してみませんか。教会では、わたしたちが自分らしく、人間として生きる命の糧を与えられるために、毎日曜日に(午前10時半開始、約1時間)礼拝を行っています。どなたでも参加自由です。(船越教会牧師 北村慈郎)」

・この日は19:30から聖書研究会がありました。都合の悪い方もあり、出席者は私を入れて3名でした。上村靜『旧約聖書新約聖書』のパウロの手紙の後半部分を扱いました。ガラテヤ書と機↓競灰螢鵐判颪肇蹇璽渊颪任后その最後のところに「パウロ神学の諸問題」という所があり、その中にこのような記述があります。〈パウロの終末意識は、救済史神学をもたらしがた、それは「律法」を「旧い契約」とし、「新しい契約」たる「信」によって更新されたものと結論づけた。こうして律法と信、「旧約」と「新約」は二者択一の問いとされた。それは、従来型のユダヤ教か更新されたユダヤ教(=キリスト教)かという二者択一の問いとなった。この二者択一の問いは、キリスト教が正しいのだからユダヤ教はもう要らない、ユダヤ教は終わった宗教だ、という認識をキリスト教にもたらすと同時に、もしもユダヤ教が正しいならば逆にキリスト教が要らない宗教になってしまうという怖れをももたらした。それゆえキリスト教はなんとしてもユダヤ教を否定しなければならなくなった。キリスト教は、自己正当化のために自分の生みの親であるユダヤ教を否定し続けねばならないのである。こうしてキリスト教に「反ユダヤ主義」が生まれることになる〉(p.258)。上村さんのこの本の特徴は、随所にこのようなキリスト教批判が出てくるところにあります。それは上村さんが、最初からキリスト教を相対化してみているからではないかと思われます。多くのキリスト教著作家は、自ら信じるキリスト教を上村さんのようには、なかなか相対化することが出来ないのではないでしょうか。そういう意味で、上村さんの本は歯切れはいいのですが、私などにもここまで言い切れるのだろうかという思いが残ります。

・聖書研究の話し合いの中で、Tさんが頭を抱えながら、私の理解によれば、戦争への道に突き進んでいるかに見えるこれまでの日本政府と保守的な世論の動きを止めなければならなかったのに、止められなかったのは何故かという問いを反芻していたように思われます。つまり、9条の会にしてもこれまでの様々な社会的な運動は、戦争への道に突き進んでいる現実に楔を打ち込めないまま、現実がどんどん進行しているのを手をこまねいているだけなのではないかという思いでは、と推察しました。これは社会的な運動に関わる者の誰もが味わっている心の葛藤ではないかと思われます。大切なことは、この葛藤を抱えながら、過激な単独主義的行動や無力感から運動から後退し無関心を装うようになっていくのではなく、自分の課題に向き合い運動を持続していくことではないでしょうか。誰かが言っていましたが、アメリカの覇権はたかだか60年、これからもずっとアメリカの世界戦略による世界支配が続くとは思えない。だから平和のために東北アジアをヨーロッパのように国民国家の壁を低くして、国家連合体にしていくことに努力するのは無駄だとは思えないと。現実の厳しさを直視すると共に、未来の在るべき夢を描き続けて行く執拗さが私たちに求められているのではないでしょうか。

・23日(土)には教区総会が行われました。この総会では三役、常置委員の選挙が行われました。選ばれた方々からすれば、今後2年間は排除の論理でなく神奈川教区形成基本方針の対話路線が教区において継承されると思います。また今回は三つ(原発被災者支援と脱原発議案、米軍基地強化とオスプレイ配備反対声明議案、神奈川県下朝鮮学校補助金打ち切り抗議と要請議案)の社会的問題に関係する議案が審議され、それぞれ内容ある発言もあって三議案すべてが可決承認されました。