なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(204)

 昨日私は久しぶりに辺野古新基地建設反対国会前座り込みに行きました。連休の中休みの日でし

たので、国会前の道路も人がまばらしか通行していませんでした。私たちが座っていましたら、ネ

クタイに背広をきちっと着込んだ86歳(ご本人がおっしゃっていました)の方が、一緒に座ってい

ましたSさんの知り合いで、しばらく私たちと話して行かれました。この方は、18歳で敗戦を迎

え、戦後は市議会議員などをしながら、平和運動にも参与してこられたということです。最近は国

会図書館に来て、かつての戦争のこと、沖縄や沖縄戦のことなどを調べておられるそうです。日本

アメリカの属国であると、何度もおっしゃっていました。日本の政治家の中でアメリカの言いな

りではなく自主路線を歩もうとした首相は、皆つぶされている。残念だと言わんばかりの気持ちが

良く伝わってきました。

 さて、今日もまた、「黙想と祈りの夕べ通信(204)」を掲載します。下記にでていますK牧

師は最近帰天されました。また下記にでてきます教団新報に書いた私の「退廃への道を憂える」

は、捜して見ましたが、見つかりませんでした。この文章が教団新報に掲載されたという記憶はあ

ります。この通信が2003年8月発行ですから、2002年の秋に行なわれた第33/8回教団総会後に書

いたものだと思います。現在の教団執行部は、T神学大学の機動隊導入を黙認し、T神学校と教団

との関係の回復を昨秋の第38/23回教団総会で決めています。T神学大学の退廃が確実に教団の中

で広がっているということでしょうか。   


       黙想と祈りの夕べ通信(204[-46]2003.8.24発行)復刻版

 最近の教団のあり方を批判した私の教団新報への投書に対して、K牧師から、自分も共感すると

のお手紙をいただきました。私は現在の教団のあり方に対して、イデオローグ的な影響を与えてい

るのが、T神学大学の教授であり、T神学大学はかつて半分の同労者をめざす学生を機動隊導入によ

って排除し、追放し、そのことへの反省も謝罪もないまま現在に至っているので、そのような神学

校の教授たちが語る伝道は矛盾以外の何ものでもないと書きました。K牧師は、先日召されましたI

先生の葬儀に出席して、そこにT神学大学から誰も来ていなかったことを知り、そのことをわざわ

ざI先生が所属していました教会に問い合わせて確認し、いくらI先生がかつて上記の問題でT神学

大学を辞めた(辞めさせられた)からといって、T神学大学で長く教授をされて、牧師養成の働き

に貢献されたI先生の葬儀にT神学大学から誰も来ないというのは考えられないと言うのです。人間

としての心をT神学大学の教授たちは失っているのではないかと。私は上記の文章に「退廃への道

を憂える」という表題をつけました。K牧師は、まさに退廃そのものだと言うのです。I先生の葬儀

のことを私は知りませんでしたが、そのことを知って、改めてT神学大学の教授たちが、敵と味方

の二分法で人間を分別し、敵の側に対してまったく心を閉ざしている証左のように思われました。

そのような神学校から卒業する人たちが教会の牧師になっていくわけですから、神学校の存在は大

きいと思います。何か考えて行かなければと思っています。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。先日行なわれた日曜学校の夏期キ

ャンプのときの、一つの光景が気になっていたが、昨日テレビで七カ国の10代の子どもたちが、

環境問題を考える船旅を共にし、屋久島、沖縄、水俣、豊島等をまわり、横浜にという番組を観

た。屋久島では山登りをし、きれいな水をのむ。沖縄では海ガメのことを学び、水俣では汚染によ

って体内感染した人と出会う。また大量投棄の豊島のゴミの山に驚き、全員で「私たちはこのかけ

がえのない地球のために、必要最低限の資源しか使いません」という提言を残した。子どもたちに

とっては一生考えていくテーマになったと思う。日曜学校の夏期キャンプで山に行って、そこでお

弁当を食べた。民宿から届いたお弁当は、結構豪華で、おかずも多く、プラスチック容器に入って

いた。40人分の食べ残しと容器でゴミ入れのポリ袋がいっぱいになった。二人の大人でやっと運ぶ

ほどだった。白樺の林やブナの林を歩いていると、ゴミ袋は異物そのものであった。食べ残しは森

のカラスや小動物に食べてもらったらと言ったが、ダメーということで民宿まで持ち帰った。普段

の生活では当たり前になってしまっているゴミ袋が、自然との共生では異物に思えた。若い人たち

が環境問題を学んで、自分たちのテーマにしていくことをテレビで観て、日曜学校のキャンプでも

ヨーマにできないものかと思った。民宿の方にはよくしてもらったが、夏のキャンプで環境問題を

学ぶことも、大きなテーマではないかと考えさせられた。



    「聖徒らのうちに奇跡を」(『ルターによる日々のみことば』より)

 しかしあなたがたは知るがよい、主は神を敬う人をご自分のために聖別されたことを。
                              
                                   詩篇4:3


 神は聖徒らのうちに奇跡を起こし、人の理性や知恵をこえて、不思議な導きをなさいます。それ

ゆえ、神をおそれるキリスト者は、見えないものにすがることを学び、死にわたされることによ

り、生命へと連れ帰されます。信仰のあらゆる例が示すように、神のことばはやみのうちに照り輝

く光だからです。

 神はその聖徒たちとキリスト者を、不信心な者やキリストの敵と同じように扱われ、時には、よ

りきびしく扱われます。それは一家の主人が子供としもべらを扱うのと同じです。彼の子供をしも

べらよりも多くむち打ちますが、しかし遺産は彼のためにたくわえるのです。そうでなければ、神

が愛する子らに、この世でなぜ、これほどきびしい時を与えられるもか説明できないでしょう。