なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(26)

       使徒言行録による説教(26)、使徒言行録7:17-29
              
・今日も司会者に読んでいただきました使徒言言行録の個所は、ステファノの説教の一部です。ステファノはこの説教でサンヒドリンのユダヤ人の指導者たちに対する告発をしているのであります。アブラハムへの神の約束から始まるイスラエルの民の歴史をひもどきながら、イスラエルの民が神によって立てられた指導者たちに逆らっているように、あなたがたも同じであると、サンヒドリンの議員たちに向かってステファノはその説教によって語っているのです(7:51以下)。

・前回はヨセフ物語が、今回は青年モーセの物語が今日のテキストである使徒言行録7章17節から29節までに記されています。まずヨセフの時代からモーセが生まれるまでの、約400年のエジプトでのイスラエルの民の歴史が、一言でこのように語られています。「神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプトの中に広がりました。それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした」(17,18節)と。

・史実に即して見ますと、紀元前17世紀の頃、ヒクソクと言われる一群の民族が北からパレスチナを南下し、エジプトの第14王朝を滅ぼして、エジプトの地を支配しました。第15王朝と第16王朝がその時代で、ヒクソスはセム系を主とするアジアの移動民族でした。ヨセフのような、同じくセム系の外来者がエジプトの高官になることができたのは、エジプトがヒクソスによって支配れていたからであったと考えられます。エジプトが古来からの王朝によってずっと支配されていたら、ヨセフがエジプトの高官になるということはあり得なかったに違いありません。しかしヒクソスによる支配はやがて終わり、エジプトは新王国時代を迎えることになります。「ヨセフのことを知らない別の王がエジプトに起こった」というのは、おそらく第18王朝を樹立したアハメス一世であろうと言われています。彼はエジプトの栄光を回復するために、今まで優遇していた外来者を酷使するようになります。こうしてエジプトに増え、広がったイスラエルの民の受難の歴史が始まるのです。「この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました」(19節)と言われているようにです。

・そして、「このときに、モーセが生まれたのです」(20節)。モーセは両親によって三か月の間はひそかに育てられました。けれども、もうこれ以上は隠しきれなくなり、モーセの両親は、パピルスの籠にアスファルトとピッチで防水をしてモーセを入れ、ナイル川の葦の茂みの中に置きました。すると、そこにエジプトの王女が水浴びに来て、籠を発見し、召使いにその籠を拾わせます。籠の中で男の子が泣いているのを見て王女はふびんに思い、この男の子をモーセと名付けて、エジプトの王宮で自分の子として育てたというのです。モーセエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にも業にも力ある人物に成長していきました。このことは、モーセが単なる一イスラエル人に留まっていたとすれば、あり得ないことでありました。神はエジプトの王(パロ)の策略を逆用して、将来の解放者を準備された(高橋)ということでしょうか。

・そのようなモーセに転機が訪れます。それは40歳のときであったというのです。「40歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました」(23節)。この「助けようと思い立ちました」と新共同訳で訳されているところは、原文では「イスラエルの子らをみずから見たいという気持ちが起こりました」(田川訳)です。モーセは自分が、ファラオの王女の実の息子ではなく、奴隷として苦しめられているイスラエル人の子であることに気づいていたのではないかと思われます。そういう自分の境遇に気づきながら、自分だけがエジプトの宮廷で何不自由なく生きていることが、モーセには耐えられなくなっていたのかも知れません。モーセは、イスラエル人の苦しみを他人事として見過ごすことができず、その現実をみずから見たいと言う気持ちが起きたというのです。

モーセイスラエルの同胞が強制労働に服している現場を訪れたところ、ちょうどエジプト人の現場監督がイスラエル人の一人を鞭で打って、無理矢理働かせようとしていたところでした。モーセは激し怒りと正義感に燃えてその現場監督を打ち殺しました。出エジプト記によれば、そのエジプト人の死体を砂の中に埋めたとあります。「モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした」(25節)。

・そのことが明らかになったのは、エジプト人を殺した翌日に、モーセが争っている二人のイスラエル人どうしを和解させようとしていた時のことでした。「次の日、モーセイスラエル人が互いに争っているところに来合わせたので、仲直りさせようとして言いました。『君たち、兄弟どうしではないか。なぜ、傷つけ合うのだ』。すると、仲間を痛めつけていた男がは、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか』」(26-28節)。

・このイスラエル人の言葉を聞いて、モーセは自分が思いがけなく危険な立場にいるのを悟りました。それは、自分がイスラエル人に対する同情からエジプト人の現場監督を殺したことが、同胞のイスラエル人にはまったく迷惑なこととしてしか受けとめられていないということでした。イスラエルの人々は奴隷状態に甘んじつつ、自分の身を守って生き残ろうとしており、モーセのようにエジプト人の支配に抵抗しようとは考えていなかったのです。モーセは自分がまったく孤立したことを知りました。そして、おそらくイスラエル人の密告によって自分がエジプト人の現場監督を殺したことが、すでにエジプト王の耳に入っており、自分が反乱の首謀者として捕らえられ殺されるのは時間の問題だということを悟ったのでした。

モーセはエジプトから直ちに逃げ出し、シナイ半島のミディアン地方に行きます。そして、その地で羊飼いの娘と結婚し、二人の息子をもうけて、羊飼いとして年齢を重ねていきました。

モーセの行動をいわゆる若気のいたりと批判する事もできるかもしれません。しかし、モーセは苦しんでいるイスラエルの民を救おうとしたために、最も苦しい道を歩まねばならなくなったということも事実です。彼には、イスラエル人の苦しみを見て見ぬふりをしながら、エジプトの王族として一生何不自由なく暮らす道もあったのです。ですから、ヘブライ人の手紙は、モーセの行動を信仰に基づくものとして理解し、このように記しています。「信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富みと考えました。与えられる報いに目を向けていたからです」(11:24-26)。

モーセがキリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えたというのは、旧約聖書の文脈だけからすれば飛躍した言い方のように聞こえます。しかし、モーセが神の民の苦しみに連帯して、まさにそれゆえにこそ神の民自身からさえも拒否されたという出来事は、イスラエルの救い主でありながら十字架につけて殺されたイエス・キリストの歩みと本質的に同じくするものであったと言わねばなりません。すなわち、キリストは人々を救いためにこそ十字架上で死なねばならなかったのです。そして、ステファノがモーセの歩みを詳しく述べるのも、モーセをとおしてキリストの苦難とキリストを信じるキリスト者の苦難をさし示そうとしているからにほかならないのです。

・苦難を受けた神の民イスラエルと、そのなかでも特に苦難の人であったモーセの生涯は、人類の歴史の中で不当な苦しみを受けた人々に繰り返し慰めと励ましを与えて来ました。そしてモーセの生涯がさし示す苦難の主イエス・キリストこそ、苦難のなかにあるすべての人々を連帯させ、その苦難からの解放へと人々を導いてこられた方なのではないでしょうか。

・「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちに及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです」(競灰1:4-5)。

・先日福島のいわき市で生活している家族の方々を迎えて、神奈川教区の保養プログラムが行なわれました。今日の船越通信にも書いておきましたが、一昨年の3月11日の大地震と大津波に加えての東電福島第一原発事故後に、福島を離れて生活する事ができず、福島に留まっている、特にお子さんのいらっしゃる家族の方々の苦しみの一端に、5日の日に行なわれました交流会でのお父さん、お母さんの発言を通して触れることができました。その中で、「原発事故が起こったことは痛恨の極みであるとしても、既に起こったことだから私たちにはこれからどうするのかが一番の問題です」という発言がありました。子どもの被曝による健康被害や今後の生活がどうなっていくのかという不安の大きさに立ち向かいながら、何とか道を拓いて生きていきたいという強い願いが伝わってきました。

・このように苦しむ人々は、世界のあちらこちらに沢山いらっしゃると思います。このような人々にとっての希望は、苦しみからの解放への具体的な運動と、その自分たちの苦しみと連帯してくれる仲間の存在ではないでしょうか。モーセもイエスも、そして原始教会も、そのような苦しむ人々の叫びに応えて、苦しみ人々と共に、苦しみからの解放への道を一歩一歩歩んで行ったのではないでしょうか。

・そしてもし神がいらっしゃるとするならば、この苦しみからの解放への道を私たちと共に歩んでいて下さる方なのではないかと、私には思われて仕方ありません。

(注)この日の説教の物語部分の一部は、三好明『講解説教使徒言行録』の当該個所から抜き書きさせていただきました。