なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(213)復刻版

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(213)」復刻版を掲載します。


         黙想と祈りの夕べ通信(213[-4]2003.10.26発行)復刻版


 先日久しぶりに年長の方をお訪ねしました。昨年は連絡がうまくいかず、年が明けて暖かくなってから

お訪ねすることを約束しておきながら、10月になってしまいました。92歳のその方は、お元気でした。最

初お目にかかったときは、ほぼ2年ぶりでしたので、少し小さくなった感じでしたが、話しているうちに

以前と変わらなく思われました。この方とお話していて二つのことに感銘を受けました。一つは、戦前弁

護士だった舅は謹厳実直な人だったが、自分はあの戦争を聖戦とは思わなかったので、舅の考えとは違っ

ていた。彼女のこの発言で、私が感銘したのは、戦前の家族制度が人の意識を強く支配していたであろう

ときに、舅の考えとは違う自分の考えを息子の「嫁」という立場の彼女がはっきりと持っていたというこ

とです。もう一つは、敗戦後昭和天皇が戦争責任を取らなかったのはおかしい。明治天皇だったら責任を

取っただろう。あの戦争の最大の責任者が昭和天皇なのだからと、彼女は言われました。この彼女の発言

にも、私は感銘を受けました。全体主義的な天皇制国家の下、皇民化教育によって人民が天皇の赤子とさ

れた時代を生きて来たのに、天皇イデオロギーから自由なものの考え方をもってその時代を潜り抜けて

きた人がいるのだということに、ほっとさせられるからです。92歳という年齢からすれば、彼女は敗戦の

とき既に34,5歳ということになります。15年戦争が始まる頃既に20歳前後に達していて、大正時代の自由

主義的な空気と反骨精神の強いクリスチャンの父母の影響、キリスト教主義の女学校での生活など、比較

国家主義的な考え方の影響から自由な時と場で青年期まで育ったからでしょうか。いろいろ考えさせら

れました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。先週「かながわ明日の教団を考える会」

があり、会が終わって懇親会が近くの居酒屋であった。15名ほどが参加したが、その中には女性の信徒が

多かった。第33回(合同後18回)教団総会後の危機的な状況の中で、他の教会の人と出会い、問題を感じ

ている人たちが話し合うことによって、「合同の問題」など自分が所属する教会ではなかなか伝わらない

が、互いに励まし合いながら来ている。懇親会のような場には、通常はむしろ男性が残って、女性はそそ

くさと帰るという風景なのに、今回は女性が多く、お互いに励まし合えたのはよかったと思う。今までは

任せ切りだったが、信徒同士が各個教会の枠を越えて、いろいろな課題に主体的に関わっていきたいとの

思いを強くさせられた。

 また別の方からの発言がありました。今日のバザーに大勢の友人が来てくれて、人との出会い、優し

さ、温かさを味わい、疲れを忘れる経験をした楽しい一日だった。お天気にも恵まれ、また来年ね!と言

って、帰って行く人もあり、嬉しい一日だった。


          「教会の完成」(『ルターの日々のみことば』より)


 あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成してくださ

 るにちがいないと、確信している。         ピリピ1:6


 聖パウロが言っているように、心の底から感動し、喜び、他の者たちが福音の交わりにはいることを、

神に感謝しているというのが、キリスト者の心であり、そのあらわれ、その形態であります。そして彼

は、信じ始め、その救いを心に持つ者を深く信頼し、自分の救いでもあるかのように大いに喜んで、どの

ようにしたら神に十分に感謝できるかを知らないのです。彼はその交わりに多くの者が加わり、すべての

ものを完全にし、そこに足りないものを満たしたもう主イエス・キリストのに日まで保ちたもうよう、そ

して彼らが同じ喜びの日に至るまで、このような信仰と希望に反対しないままでいるように、絶えず神に

願い求めています。

 聖使徒はこのように、霊と信仰の豊かな驚くべき実に満たされている彼の心の底から、流れ出るように

語ります。それは、福音が理解されていることがわかった時の、喜びと幸福にすべてが燃えており、教会

愛に満たされていて、教会に望み神に求めることは、教会が増加し、福音にとどまるより以上のものがな

いことを、彼は知っています。彼は、人々が神のことばを聞き、それを保つことができる時、それがなに

よりも偉大な尊い宝であると考えています。

                             三位一体後第三主日の説教