なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(111)

          船越通信癸隠隠院 。横娃隠廓6月2日        

・5月26日(日)は礼拝後何時ものようにお茶を飲みながら懇談の時を持ち、その後散会しました。NさんとTさんはその後も残って、台所などのお掃除をして下さり、私が教区のオリエンテーションのために、午後3時頃に船越教会を出る時にもまだいらっしゃいました。この日は懇談が終わって、私は2階の牧師館でオリエンテーションの準備をしていましたら、Mさんが訪ねて来ました。Mさんは、先週の金曜日午後5時ごろにも教会にいらっしゃいましたが、その時は私のところにOさんが来ていて面談中でしたので、来客中であることをMさんに伝えて、帰ってもらいました。日曜日も午後4時半から教区事務所で今年度の第一回オリエンテーションがありました。私はオリエンテーションの委員長としてどうしても出席しなければなりませんでしたので、Mさんとはそれまでの間2階の牧師館で話しました。1時間半ほど近況をお聞きしたりして過ごしました。土曜日に食べた水炊きの残りがあり、それに一人前のうどんを入れて、だし汁で味付けして、昼食代わりに二人で分けて食べました。その後Mさんにお引き取り願い、私は教区事務所に向かいました。

・教区の2013年度の第一回オリエンテーションは、参加者20名ほどで、神奈川教区形成基本方針と教区の支援制度や組織図について、教区議長のTさんに発題をお願いして、質疑応答を中心に話し合いました。T議長は、教区形成基本方針が、違いを認めて他を切り捨てず、忍耐深い対話による一致を求めていくという方向性を取っていることに触れ、これは「おそろしい」ことだと教区議長になって強く感じているという主旨のことを発言されました。神奈川教区の教会にこの4月から新しく赴任されたある教師が、「おそろしい」とはどういうことなのか、と質問していました。

・お互いの違いを認めて、対話による一致を求めて行くということは、大変エネルギーを必要とする作業です。お互いがもっているそれぞれの確信と思われる事柄を絶対化してそこから一歩も出ないということであるならば、そもそも対話をしても無意味に違いありません。お互いの違いを認めながら、対話による一致を求めて行くということは、違ったお互いの考えよりも、よりよい真実が存在するかも知れないという希望をもって、その真実に対話によって一歩でもお互いに近づいて行くのだという強い意志をもっての共同作業です。教区形成基本方針とまともに向かい合うということは、そういうことで、そのことは「おそろしい」ことに違いありません。自分が零になることを覚悟で他者との対話に自分を賭けるということは、言葉で言うほど簡単なことではないからです。神奈川教区には、そういう対話による一致をお互いに真剣に求めて、他者と向かい合ったという歴史があったのではないかと思います。しかし、現在は、そのような対話は残念ながら欠けているように思われます。けれども、神奈川教区形成基本方針が神奈川教区に存在しているが故に、私のような教団によって教師免職処分を受けている者でも、今でも排除されないで教区の交わりの一端に加わっていることができます。そういう意味で、教区形成基本方針は意見の違いによって他者を排除切り捨てないということを保障する力にはなっていることは事実です。このことは決して小さなことではありません。今回の第一回オリエンテーションでは、神奈川教区形成基本方針の対話について、対話が成り立つためには条件が必要で、それは「伝統と伝道」であるという発言がありました。この発言の意味がよく分かりませんでしたが、どうも「信仰告白と教憲教規」が土俵でなければ対話は成り立たないという、これまでにも繰り返し出てきた意見に近いように思われました。午後8時にオリエンテーションを終了して、数名の委員と杯を交わし、鶴巻に着いたのは午前0時を過ぎていました。

・30日の木曜日は、鶴巻から船越への移動日でしたが、午後4時ごろに教区事務所へ行き、来たる6月29日開催の第130回神奈川教区総会に出す議員提案議案を届けました。議案は「北村慈郎教師の免職処分を撤回し、その上で、教団内に聖餐の在り方についえ慎重かつ十分な議論をする場の設置を求める件」で、第130回神奈川教区総会名で同趣旨の声明を出すというものです。既に大阪教区で同種の議案が可決されています。

・この日はその後、午後6時半から小田急高座渋谷駅前のホールで、藤本幸久監督の映画「ラブ沖縄@辺野古・高江・普天間」の上映会がありましたので、この映画を観に行きました。藤本監督の映画は、この日の映画とは違いますが、ちょうど東北大地震が起きた2011年3月11日に、教区の基地自衛隊問題小委員会主催で紅葉坂教会で上映会が行なわれる予定でした。私がまだ紅葉坂教会の牧師であった時です。2度大きな揺れが起きて、情報ではその後交通網が寸断されているということでした。しかし、その日大きな揺れがあった後に藤本監督が小さなワゴン車に映画上映の機材一式を積んで紅葉坂教会に到着しました。この日映画を観に来れた方は数名で、その方々には了解していただいて、上映会は延期することになりました。その時も沖縄の映画を上映することになっていたと思います。今回の映画は1995年の沖縄における米兵による少女暴行事件、沖縄県民大会、普天間移設が決まったところから、最近のオスプレイの沖縄配備までの沖縄県民の闘いを追ってつくられたものです。特に2005年頃の辺野古の海にやぐらが組まれた時の、防衛施設局側の調査船と辺野古新基地反対側との攻防の生々しい映像。高江で業者による資材の基地への搬入とそれを阻止する反対住民のこれも生々しい攻防の映像。そして最近の普天間基地ゲート前での反対派の座り込の一人一人をごぼう抜きにしていく警察官のこれも生々しい映像を観ながら、私自身は命をかけて闘っている人々の熱い思いとその行動に打ちのめされていました。

・この上映会の後、その日は鶴巻に帰り、31日金曜日の朝6時に鶴巻から船越に移動しました。8時には船越に着いて、先ずは6月2日の週報原稿を作成し、皆さんにメールでその原稿を添付して、訂正等があれば、土曜日の夕方までに連絡をくださるようにお願いしました。この日は大変暑かったせいか、1時間ほど本を読むと眠くなってしまい、一日中うとうとしながら過ごしました。