なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(34)

 今日から月曜日まで岩手の奥中山に行きますので、21日、22日のこのブログはお休みです。

        使徒言行録による説教(34)、使徒言行録9:10~19a

・先ほど司会者に読んでいただきました使徒言行録の個所、サウロ回心物語の後半部分では、アナニアという人物が重要な役割を果たしています。彼は、サウロが迫害に向かったダマスコにいたキリスト教徒の一人でした。もしサウロの上にダマスコへの途上で何も起こらず、サウロがエルサレムの大祭司から得た逮捕状を持って、一行と共にダマスコにやって来たとすれば、アナニアはサウロらから迫害を受けたかも知れませんでした。その意味で、本来サウロは、アナニアにとってキリスト教徒の弾圧に大変熱心な暴力的な恐怖の人でありました。そして、その段階では、アナニアには、既にキリスト教徒でしたからイエスを信じていましたが、迫害者サウロがイエスを信じ二人がイエスを信じる信仰者の仲間になるということは、全く考えられませんでした。

・ダマスコ途上のサウロに、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかけた(4節)イエスは、アナニアにも幻の中で「アナニア」と呼びかけたというのです(10節)。このことは、主イエスが、イエスを信じる者(アナニア)にもイエスを信じていない者(サウロ)にも、同じように呼びかけている他者であることを意味しています。

・アナニアは、主イエスから「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ」(11節)と言われます。「直線通り」と呼ばれる通りは、ダマスコの町の中央を東西に走る幅30メートルの目抜き通りで、長さ1.8キロに及んでいたと言われています。そこにユダの家があって、サウロはその家に連れて来られて、三日間、目が見えない状態で、断食していた(9節)というのです。そして、「アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見ている」とアナニアは主イエスから告げられます(12節)。

・それでもアナニアは、主イエスに告げられたように、すぐに行動に移すことができませんでした。なぜなら、サウロと言う人物がどういう人物であるかを、アナニアはよく知っていたからです。アナニアは、「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています」(3,14節)と、主イエスに答えます。何故そんな人の所へわたしに行けというのか、アナニアには主イエスの言われることが納得できなかったのでしょう。

・信仰とは、自分が納得できなくとも、無理やり信じるということではありません。かつて日本の侵略戦争に学徒出陣していった青年たちの中にはキリスト者の人もいました。彼らの中には、この戦争はヨーロッパ列強から日本がアジアを解放する聖なる戦争であり、キリスト者として学徒出陣して行くことは神のみ心であると言われて戦争に行った人もいたに違いありません。しかし、彼らの中には本当にそうだろうかという疑問をもっていた人もいたのではないかと思います。そして、人殺しとしての戦争が神のみ心だとはどうしても思えないという思いを心の中に秘めながら、でもそれを出すことができない状況で、その思いを封じて無理矢理戦争に行ったのではないでしょうか。このように、私たちが納得できないことを無理矢理信じることが信仰なのではありません。

・信仰とは、他者である神、他者であるイエスとの対話です。その対話を通して、私たちが神のみ心を知り、イエスの招きに従って生きて行くことが信仰です。ここでのアナニアも、そのような信仰者として、幻の中で出会ったイエスと対話しているのです。最初サウロのところに行きなさいと、主イエスから言われたアナニアは、キリスト教徒の弾圧者であるサウロのところに、私が行くのですか、とイエスに問い返します。納得できなかったからです。〈するとイエスは言われました。「行け。あの者は、異邦人や王たち、また、イスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、私は彼に示そう。」〉(15,16節)と。

・そのようにイエスに言われたら、アナニアは従わざるを得ませんでした。イエスは、キリスト教徒の弾圧者であったサウロを、「わたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である」と言われました。アナニアは自分が主と信じているイエスが、そんなことを言われるとは思いもよらなかったでしょう。また、イエスは、サウロに「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」と言われました。ユダヤ教徒としてのサウロの熱心さは神への熱心さでしたが、神を巻き込んで自らの熱心さを他者におしつけるものでした。しかし、イエスによって示された、イエスの名のために苦しむということは、サウロにとっては、〈自らの熱心を他者におしつけるのではなく、自らが他者のために(つまりキリストのために)「苦しむ」ことこそが今パウロに要求されているのであり、それはイエス自身のたどった道で〉(橋本滋男)ありました。

パウロはローマの信徒への手紙11章33節で、神は最初イスラエルを選んだが、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるという、神の秘められた計画について語った後、「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽せよう」と語っています(11:33)。神がキリスト教徒の弾圧者サウロをイエスの福音を宣べ伝える伝道者お選びになるとは、だれが思いついたでしょうか。まさに私たち人間には、神の定めは究め難く、神の道は理解し難いのです。

・〈そこで、アナニアは出かけで行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて、兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現われてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです〉(17節)と、三日間目が見えず断食していたサウロに語りかけました。ここでアナニアはサウロに「兄弟サウル」と呼びかけています。キリスト者であるアナニアにとって、かつては迫害者、弾圧者であったサウロが、他者である主イエスによって同信の「兄弟」とされたのです。このことは、アナニアにとっては予想外の恵みであったに違いありません。

・私は、この他者であるイエスによって、最初敵対的な関係にあった両者が共に生きる仲間に変えられることに希望を感じている者です。同じ内容のことが、エフェソの信徒への手紙2章14節以下にも記されています。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を破棄されました。こうして、キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです」(2:14-17)。

・さて、アナニアによって、サウロは、「たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおりに見えるようになった。そこで、身を起して、洗礼(バプテスマ)を受け、食事をして元気を取り戻した」(18,19節)というのです。この記述は、福音書のイエスの奇跡物語の最後の部分に似ています。三日間も目が見えず、食べも飲みもしなかったサウロに、アナニアの手が置かれると、目が見えるようになり、食事もして元気を取り戻したというのです。橋本滋男さんは、「福音書によく記されている奇蹟物語の本質は、神の助けによって過去(とそれに基づく考え方)から解放されて新しい現実に目が開かれることである」と言っています。サウロは、まさに生まれ変ったのです。

・ところで、8章からこの9章のサウロの回心の記事までに、使徒言行録では3人の入信物語が記されていました。最初はサマリアの魔術師シモンです。次はエチオピアの宦官です。そして、今日私たちが学びましたサウロです。しかし、この三人の入信物語をよく読んでみますと、それぞれに微妙な違いがあります。

・魔術師シモンの場合は、確かに洗礼を受けて入信しました。しかし、その物語をよく読んでみますと、入信の前と後でシモンは生まれ変ったのかどうか疑問です。シモンは汚れた霊を追い出し、病者を癒すフィリポの奇跡的なしるしを見て入信しました。自分の魔術の力よりもフィリポの方が優っていると思ったからです。ですから、シモンは、聖霊を授ける能力をお金で買い取ろうとしたのです(8:19)。このシモンの入信(回心)は、「自己拡大をめざして福音に接近した」(高橋三郎)ものです。

エチオピアの宦官の場合は、去勢された男子であったがために、ユダヤ教徒のヤハウエの集会に受け入れられなかった悲しみを抱えながら、熱心にひたすら生ける神を求めていたわけです。フィリポによって語られたイエスの福音は、彼もまた神の民の一員として受け入れられるということを、宣言しました。エチオピアの宦官は、このイエスの福音を、悲しむ者に対する真の慰めとして受け止めて、入信(回心)したに違いありません。

・さて、サウロの場合はどうでしょうか。シモンのように力を求めてでもなく、エチオピアの宦官のように真の慰めを得てでもありません。キリスト教徒の弾圧者、迫害者であったサウロは、それまでも神の真実を求めて求道の道を歩んでいたのではないでしょうか。彼はキリスト者になってから、かつての自分と同じユダヤ人について、ローマの信徒への手紙にこのように書いています。「わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです」(10:2,3)。神に敵対していながら、自らは神に仕えていると信じているユダヤ人の姿は、かつてのサウロの姿そのものでした。そのような彼自身が、イエスとの出会いによって、打ち砕かれて、新たに生まれ変わっていったのです。その時、サウロは「キリストのみ名のために、いかに苦しまなければならないかということを告知されます(9:15)。ユダヤ教徒としての、それまでのサウロの生き方が180度変えられていくのです。迫害していた者が迫害を受ける者(イエスの苦しみを共に担う者)になっていくのです。イエスにある新しい求道の生活と言ってもよいでしょう。サウロの入信(回心)とは、そのような出来事でした。

・この三者の入信(回心)の在り方からすれば、魔術師シモンのものは論外としても、エチオピアの宦官とサウロのものは、今も変わらず、私たちに響いて来るものがあるのではないでしょうか。