なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(128)

          船越通信癸隠横検 。横娃隠廓10月6日       

・29日の礼拝後お茶を飲みながらの懇談のときに、最近の大学受験のことが話題になりました。

それは、私がある大学受験をする高校生のボランティア関係の所属組織責任者による推薦書を書い

たという話がきっかけとなってです。現在の大学入試には、推薦制度があって、筆記入学試験は2

月頃にあるのですが、推薦入試は10月には推薦を受け付けて、大学は書類で審査して、その審査を

クリアーした受験生には、面接と小論文を課して、それに合格した人は、年を越さなくても今年度

中に大学合格が決まるというのです。その推薦制度も、例えばキリスト教主義の大学が、同じキリ

スト教主義の高校に、あなたの学校は何名の枠を与えています、というように、学校推薦の推薦制

度ではなく、自己推薦という推薦制度があるということを、今回私は初めて知りました。野球だと

か柔道だとかラクビーだとかの選手をしている高校生が、大学から引き抜かれるということは聞い

ていましたが、自分にはこういう特技というか、セールスポイントがあるということを、受験生で

ある高校生が自らアッピールし、と同時にそのための推薦書をその高校生の関わっている組織の責

任者に書いて大学の入学希望学科に出すという推薦入学制度は、今まで知りませんでした。ですか

ら、その日の懇談の場にいた二人の高校教師の方には、大学入学ということが本当に大変なことに

なっているのですねと、私の方から声をかけました。すると、二人ともそうなのですと、大学受験

に対する現在の高校の対応について話してくだいました。その二人の話を聞いて、子どもたち一人

一人の大学受験への対応には、現在の高校では先生方が相当の心遣いをしていることが、良く伝わ

ってきました。

・私たちは、一つの社会の中で生きて行く時に、既存の制度的な枠組みの中で生活せざるを得ませ

ん。その枠組みの中心により近いか、その枠組みの周縁の方により近いかはともかくとして、枠組

みから完全に自由には生きられません。その抑圧がどうにもならない場合には、命を賭けて立ち上

がって、その社会に革命を起こすしか方法はありません。実際そういう形で、抑圧の強い社会を変

えて行ったという事例も、歴史上にはいくつかあります。その代表例がフランス革命でしょう。日

本にはそういう事例がなかなか見当たりませんが、成功はしませんでしたが、秩父事件のような自

由民権運動や、最近では60年安保や70年の学生運動を中心とした反体制運動も、そのような事例に

属すると言えるかもしれません。反原発運動も反基地闘争もその流れの中にあると言えるでしょ

う。

・私たち大人は、この現在の日本社会の問題に心痛め、それぞれに自分の課題を見出して運動にも

取り組んでいると思われますが、そういう問題だらけの日本の社会の中に子どもたちを送り出して

いかなければならないという矛盾からも自由ではありません。この日本の社会の中で、そういう立

ち位置にある私たちが、そこで信仰によって、「神の国と神の義を追い求める」ということはどう

いうことなのか。これも絶対に信仰者として手放してはならない課題ですが、正解があるわけでは

ありません。それぞれ祈りつつ、神の助けを求めつつ、自分の置かれた場が神に召された場である

ことを覚えて、狭き道を見出して歩み続けていきたいと思います。

・さて、この週は私にとりまして、大変忙しい週になりました。1日(火)は午後6時から「教区の

宣教を考える会~教区のホームページ~」があり出席しました。去る教区総会で「教区のホームペ

ージ」についてのアンケートを取り、今回その集計と分析の発題があり、それについての話し合い

がありました。神奈川教区は今まで全く教区にパソコンもなく、教区事務所とのメールのやりとり

も出来ませんでしたが、今はメールに関しては主事個人とのやりとりができるようになっていま

す。しかし、これは全く主事の個人的な好意からです。そういう意味では、まだ神奈川教区はアナ

ログ時代にあります。それはそれで良い面もあるとは思われますが、不便であることは確かです。

今回の話し合いで、フロアーからの意見として、各個教会の中には教会のホームページを持ってい

ないところもあり、教区が主導で教区ホームページを開設し、そこに各個教会の案内を入れてもら

えると、今は新来者が教会を探すのもパソコンからが多いので、早急にそうしてもらないかという

要望が出ました。この日は午後7時半までこの会があり、その後常置委員会がありました。常置委

員会後に皆と食事をして、鶴巻に着いたのは午前0時を過ぎていました。

・3日の木曜日は、連れ合いが神奈川人権センターの関係の集会に出ることになっていましたの

で、私が国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。久しぶりでしたが、いつもの

3名の年配の女性たちに、私と、更に2名の方も座り込んでいて、合計6名でした。現在私のブログ

に、この「船越通信」と同じように、私が紅葉坂教会で役員会の了承を得て個人で出していました

「黙想と祈りの夕べ通信」の復刻版を掲載していますが、それがちょうど2004年のもので、辺野古

防衛施設局によるボーリング調査が行われ、海上での激しい反対行動がありましたが、通信の記

事の中にはそのことについて触れているものがよく出ています。国会前の座り込みも、2004年の夏

から始まっていますので、9年間続いていることになります。はじめの内は毎日座り込んでいまし

た。現在は月・木の午後1時から4時までです。座り込んでいると、その歴史の重みを感じることが

あります。

・4日の金曜日は、朝6時半過ぎに船越教会を出て、寿の炊き出しに参加し、朝の野菜刻みを終え

て、寿地区活動委員の一人のHさんと話し合いをしました。正午には別の委員のSさん、更に炊

き出し配食を終えてから、午後2時半からは3人の委員、Iさん、Aさん、Mさんと話し合いまし

た。寿地区活動委員会の中で調整が執拗な課題があり、個別の委員の意見を聞いた上で、委員長で

ある私の方から方向性を示さなければならないからです。委員会という組織の中には、どうしても

このような役割が必要になる局面があるものです。その後、午後6時半から高座渋谷教会で私の裁

判支援会の神奈川世話人会・事務局会があり、そちらに参加しました。最高裁上告後のことと11月

4日の集会のことを主に相談しました。