なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(274)復刻版

 10月末に兵庫教区の教師研修会の講師を頼まれています。「現場から伝道を考える」というテーマで

1時間半の話をすることになっています。私が立てた題は「宣教の現場である三つの教会での働きを通し

て~課題・『未受洗者』配餐・展望~」です。少しずつ準備をしていますが、むしろ兵庫教区の方々から

多くを学ぶことになるのではないかと思っています。自分が牧師の働きをするようになってから44年間が

経ちますが、未だに試行錯誤の連続です。ただこの間に気づいたことも多くありますので、そんな自分の

経験を皆さんと共有できればと願っています。

 さて、今日も、9年前の「黙想と祈りの夕べ通信(274)」を掲載します。


        黙想と祈りの夕べ通信(274[-13]2004・12.26発行)復刻版


 隅谷三喜男さんの『日本の信徒の「神学」』という本を最近読みました。隅谷さんは東京の代田教会に

信徒として出席していました。代田教会の信徒講座を受けもち、そこで話されたことがまとめられたのが

この本です。その意味では、問題提起の面が強く、まとまった思索が系統的に整理して書かれてはいませ

ん。この本から教えられたいくつかのことをお話させてもらいます。ひとつは、日本の教会の信徒の祈り

は、感謝と願いはあるが、懺悔が希薄であるという指摘です。それに対応すると思いますが、日本の教会

の礼拝での説教は、福音とは何かは説かれるが、福音によっていかに生きるかは余り説かれないという指

摘。さらには日本の教会の信徒は日曜信者とよく言われるように、日曜日と後の6日の生活が分離してい

る。そのために青年期に受洗するが、社会に出て仕事をするようになると、教会から離れて信仰も卒業し

てしまう(隅谷さんは退学と言っている)人が多い。また、日曜日の礼拝は家にたとえれば二階で行われて

おり、牧師の語る言葉も神学も欧米の神学者の輸入であって、それらは一階で日常生活している信徒にと

っては一階での生活にほとんど関わりがない。そのために信徒は日曜日に二階に上がり、神学に興味ある

人は牧師と同じように欧米の神学者のものをかじっているだけで、一階の生活は二階の生活とは区切れた

ままだと言うのです。懺悔は自分の生活の中で自己を問うときに生まれてくるものだと思います。生活は

生活、信仰は信仰という二分化した信徒の中からは懺悔はでてこないのでは当然ではないでしょうか。隅

谷さんは、信仰は思想を生み出すという確信をもっているように思われます。信仰から形成される思想を

もって現実生活を生きる信徒が、日本の教会に輩出されるようになることを願って、晩年『日本の信徒の

「神学」』の重要性を語られたのではないでしょうか。

 続いて一人の方からの発言がありました。この前の日曜日に日曜学校のお話が急に私に回ってきた。自

分としては今年のクリスマスは手放しで喜べない気分である。気候も12月のこの時期にしては暖かく、ク

リスマスと言われてもピント来ないところがある。特に現在の社会から厳しい問題を突きつけられてい

て、単純にはクリスマスを喜べないものがある。桃井一馬さんの「もう殺させない」という世界の子供た

ちの写真集がある。教団総会で手に入れたものだが、この写真集でイラクの子どもたちをはじめ世界の

国々の子どもたちの素顔の写真を見ていると、大変つらくなる。自分が関わっている辺野古で基地建設反

対で命がけで阻止している人たちがいることを考えてもそうだ。このような時にイエスの降誕を祝うとい

うことの意味は何か。イエスの十字架のことを考えざるを得ない。人間の罪のゆえにイエスを十字架につ

けた。同じことが現代でも繰り返されているように思う。マタイ福音書の降誕物語では、ユダヤ人の王が

生まれたということで、子どもたちがヘロデによって虐殺された。今も権力の犠牲になって子どもたちが

殺されている。ただ救いは、十字架にあるのではないか。反面日曜学校のクリスマス祝会で小さな子ども

たちがサンタクロースを見ているその子どもたちのまなざしが救いである。自分自身も、自分の子どもた

ちも、プレゼントがもらえるということももちろんあるが、それだけではなくそこには何かを信じて待つ

というワクワクする気持ちがあったと思う。いるのかいないのか分からないサンタクロースをワクワクし

ながら待っている小さな子どもたちの姿に、誰かが心の中にサンタクロースの部屋を持っていると言って

いたのを思い出す。そのような子どもたちの存在に救われる。一方厳しい状況の中でつらい思いの子ども

たちが世界にはたくさんいることに心が重い。対照的な子どもたちの存在に思いを馳せながら、今年のク

リスマスを過ごしている。