なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(290)」復刻版

 今日も「黙想と祈りの夕べ通信(290)」復刻版を掲載します。下記の中に「セクシュアル・

ハラスメント窓口相談」のことが書かれていますが、現在神奈川教区では相談窓口を開いていま

す。


       黙想と祈りの夕べ通信(290[-29]2005・4.17発行)復刻版


 最近古本屋で見つけた『二十一世紀の挑戦にこたえる教会』というカトリックで解放の神学を日

本に根づかせようとしておられる山田経三さんという方が書いた本を読みました。この本を読ん

で、カトリックの中でも1960年代前半に開かれた第二バチカン公会議以後「内に閉ざされた教会」

から「社会に開かれた教会」へという流れが着実に教会改革として実を結んでいつことが分かりま

した。もちろん伝統的な力も強く、改革がカトリック教会の全体に及んでいるわけではありません

が、小教区の中では相当進んでいるところもあるようです。たとえば教会が地域社会のさまざまな

市民運動の拠点に用いられて、教会員のキリスト者が一般市民とともにその運動を担っているとい

う例もあるようです。この本の中には、神のみ業は聖霊の働きを通して心ある非キリスト者によっ

て担われており、そのような人々を通して、むしろキリスト者が神の命のちから(ダイナミズム)

の宝に気づかされるという記述もありました。常々私もそのように考えていましたので、この記述

には共感させられました。ところが、教団の大勢はこの本の方向性とは逆行しています。昨日も教

団事務局の人からファックスと電話があり、教団の「在日・日韓連帯特別委員会」の募金が集まら

ないなら世界宣教協力委員会の中の小委員会にするということを教団執行部から言われたので、20

05年度の教区総会に向けてこの委員会の存続のために募金を訴える趣意書の賛同人になって欲しい

ということでした。この教団の現実を見据えながら、なすべきことをなしていきたいと思っていま

す。

 上記の私の発言に続いて一人の方から以下のような発言がありました。一人の牧師が少女を暴行

したということでテレビで取り上げられている。教会では牧師と密室で1対1の面談が行われてい

る。牧師にとってカウンセリングの役割は大きいが、もっと機能的にもきちんとしていく必要があ

ると思う。そうでなければ牧師と信徒の緊張関係でエネルギーを使うことになり、お互いに傷つく

こともある。神奈川教区の教区総会などで教会には性差別はありませんという発言をする人があ

る。そういう発言に接すると、性差別委員会の存在の重要性をますます感じさせられる。教区の性

差別委員会でも、教会でのセクシュアル・ハラスメントの電話相談という話があるが、その立ち上

げは大変なので、まだ手をつけていないが、考えていかなければならないと思う。性差別委員会の

活動が、繰り返される性差別の絶望的な現実に光となればと思う。

 続いて別の方から発言がありました。日曜日に新年度はじめての婦人会があった。最近では出席

者も一番多かった。雰囲気もよく新しい役員の心意気が伝わってきた。期待に胸が膨らんだ。会長

の祈り(変えられるものは変える、変えられないものはそれを受け入れる力を与えてくださいとい

うニーバーの有名な祈り?)を自分も何度も祈って覚えた。それとは別に私は月に2時間だけだ

が、朗読を若い人たちの中に入って勉強してきた。厳しかったが、私には貴重な会だと思ってき

た。今度藤棚のコミュニティーセンターで3歳までの幼子への朗読をその会が当番制で受け持つこ

とになった。その朗読を私も若い人と一緒にできることを感謝している。

 K伝道師から発言がありました。一人気になっている方がいるので、その方のことを覚えて共に

祈って欲しい。3月まで出席していた教会で出会った方で、しばらく礼拝に来ていなかったので気

になっていたが、たまたまこの前の日曜日に駅で電車を待っていたときに偶然にその方にお会いし

た。その方の息子さんは統合失調症で今は北海道のグループホームで困難を抱えながら生活してい

る。彼女は笑顔の素敵な方で私が声をかけたら、びっくりされた。彼女は最近精神障害の方の施設

に勤務し始め、日曜日も勤務があり、早番遅番でくたくたで、こういう時こそ礼拝に行きたい。ま

た、いろいろ矛盾をかかえながら仕事をしていて、神様から試されているとも言っておられた。私

は彼女から叫びのような気持ちを受け取った。日曜日に礼拝に来るのが当たり前に思っていたが、

彼女の来られない苦しみが伝わってきた。祈っていきたい。