なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(303)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(303)復刻版を掲載します。2005年7月のものです。

 この通信は今から8年前のものですが、2004年10月開催の第34合同後19回総会で、私

ははじめて常議員の一人に選ばれました。その後開かれた第一回常議員会に出て、全く対話ではな

いその議事運営と議論の内容に驚き、この常議員会の実態を多くの方々に知ってもらいたいと思

い、私は個人的に常議員会の私的報告を出すようにしました。教団総会議員400人に送ったよう

に思います。3回ぐらい送って、徒労であることを知り止めました。そのことが下記に書かれてい

ます。

 沖縄教区が教団との間に距離を置くようになって、11年が経っています。沖縄教区との関係の

修正抜きに進められている現在の教団執行部の教団運営は目に余るものがありますが、沖縄教区と

の関係の修復と合同ととらえなおしの実質化なくして、教団の未来はありません。



       黙想と祈りの夕べ通信(303[-42]2005・7.17発行)復刻版


 日曜日から水曜日にかけて第2回教団常議員会および京都で開かれました「求め、すすめる連絡

会」世話人会に出席してきました。火曜日午後3時に常議員会が終わり、その日の午後7時に京都

R教会で世話人会がありました。会が終えたのが午後9時半でしたので、その夜はR教会の和室に

I教会のO牧師と二人で泊まり、水曜日の朝新幹線で帰ってきました。常議員会は惨憺たるもので

した。私は第一回から「私的常議員会報告及び私的コメント」を第34回合同後19回教団総会議員40

0名強宛てに送っています。第2回もいずれ送る予定です。希望者は申し出てくだされば、差し上げ

ます。R教会に一緒に泊まったOさんは中堅の牧師ですが、I教会は7年とのことでした。イエス

は最も苦しむ者と共に生きられたので、そのイエスに従って生きようとすれば、教会からすれば、

その外側にそういう苦しむ人がいるので、どうしても自分の働きはそのような人との繋がりを求め

ざるを得ません。特にIは基地の町ですので、沖縄同様いろいろな問題が起こるとのことで、市民

運動に参加しているというのです。しかし、そうすると、教会との間にどんどん溝が出来るのです

と、悩みを打ち明けられました。私も若いときに同じ悩みを持ちましたが、偉そうに答えられるわ

けではありません。ですから、聞き役に徹しました。ただ、Oさんのような比較的若い牧師もいる

のだということを知り、希望が持てました。どうぞO牧師を覚えてご加祷ください。

 以上の私の発言に続いて、一人の方から以下のような発言がありました。今回も辺野古国会前座

り込みのことになるが、今国会前では障がい者の団体も自立支援法反対座り込み抗議行動をしてい

る。自立支援法が成立すると、今まで以上に薬代を支払わなければならなくなるので、障がい者

自己負担が重くなる。国会前にはその他にもいろいろな団体の陳情がある。今までそれぞれの運動

は違っていると思っていた。しかし、そうではないことが分かってきた。視覚障がい者の人たちが

声をかけ合う。車椅子の人たちも声をかけ合う。私たちも声をかける。すると、知ってますよ、頑

張ってくださいと声をかけてくれる人があり、カンパを入れてくれる人がある。それぞれ違った要

求を持って国会前に来ているが、辺野古基地建設反対、障がい者自立支援法反対、郵政民営化反対

など・・・、国の姿勢から出てくる問題は、みんなつながっているように思える。弱い者同士、大

きな力に少数者が訴えていくというところだ。私自身の辺野古基地建設反対という運動も、教会の

方が支えていてくださる。運動を担っているのは少数だが、その少数者を支える人たちがいる。そ

れぞれの課題を担う中で、お互いがつながっていることを感じさせられている。

 別の方の発言がありました。今日読んだ詩編11編の中に、「見よ、主に逆らう者が弓を張り、

弦に矢をつがえ、/闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている」(2節)という言葉があっ

た。自分は簡易裁判所の民事調停委員をして相談にのっている。詐欺まがいの商売に騙される人が

多い。一人の借金を抱えている人のことだが、最初宝石70万円でローンで買えると言われて買っ

た。返済が出来ないので、宝石を質屋に入れたら、7万でしか買ってもらえなかったと言う。もう

一人は、都市銀行から住宅ローンを借りたので、通帳を作った時に、利子3割というその銀行外の

カード会社のカードが送られてきた。そのカードで30万円まで借りられるので、借りてしまった

という。以前に裁判所に来た若者が、手紙を家に送ると老父母が心配するので、家には手紙を送ら

ないでくれと頼んだが、手紙が家に送られてきてしまったという。結果的にはそのために家中で話

し合うことが出来てよかった。それ以後は手紙を送ってもらってもよいということがあった。詩編

11編3節には、「世の秩序が覆っているのに/主に従う人に何ができようか、と」とある。現在は

難しい状況にあり、神の秩序が覆っているのではないかと思う。主に従うことで何か出来るのでは

と思わされた。今日の聖書の箇所から感じたことである。