なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(149)

           船越通信癸隠苅后 。横娃隠看3月2日               

・2月23日の日曜日は、Nさんが出席し、礼拝司会を担当してもらいました。クリスマス以来の

再会ですが、お元気そうでうれしく思いました。Nさんは富士宮の青木平にいらっしゃいますの

で、2度の大雪の時は、雪かきで大変だったのではないでしょうか。私は、この日の礼拝後、礼拝

に初めて出席した一人の方と礼拝堂で面談していましたので、みなさんの懇談には加わることがで

きませんでした。みなさんが懇談後散会した後、すぐに面談も終わり、その方を送り出し、私はそ

の日の午後4時半から教区事務所の2階で行われる、今年度の第4回オリエンテーションの準備をし

て、午後3時過ぎに船越教会を出ました。

・第4回オリエンテーションのテーマは、「教師検定問題・教職論について」でした。たまたま昨

年10月末に兵庫教区の集まりで、ほとんど同じ内容で私が発題をしていましたので、今回の神奈川

教区のオリエンテーションも私が発題を引き受けました。日本基督教団の教職論については、1970

年代に起こった教師検定問題と共に教団の成立に関わる正教師、補教師という二重(二種)教職制

の問題が内在しています。この二つの問題は全く解決できないまま現在も教団の課題になっていま

す。けれども現在の教団政治においては、この二つの教職制に関わる問題はほとんど無視されてい

て、あたかも何事もなかったかのごとくに正教師、補教師が生み出されています。神奈川教区で

は、現在教師検定試験受験拒否者がいません。しかし、他教区には、正教師試験を受験せずに補教

師のままで教会の牧会を続けている教師がいます。特に兵庫教区では、そのようは補教師の礼典執

行を可とする教区総会決議も、確か1990年頃にしていると思います。私も1969年春に補教師試験を

受験し、合格して准允を受け補教師になりました。その後教師検定問題が起き、1979年まで正教師

試験を受けずにいました。1977年4月に名古屋のG教会に主任担任教師として赴任し、2年目の1979

年に正教師試験を受けて正教師になりました。その時の受験の決断には、G教会で牧師として飯を

食うためにということが一番の根底にありました。ただ昨年の兵庫教区の集まりで、補教師のまま

ずっとそれぞれの教会で牧会している二人の方から受けた質問があります。私はその質問にその場

では答えることができずに、宿題にさせてもらいました。それは、私の言葉で言えば、正教師にな

って牧師に居座っている限り、教職制度が持つ本質的な問題である、教職と信徒との間にはある種

の階層的な関係が生まれ、教会の内なる天皇制を克服できないのではないかということだったよう

に思います。私は教会の現場では牧師ではありますが、できるだけ信徒の方と対等な関わりを持と

うとしていますが、日本基督教団の按手礼を受けた牧師である以上、対等な関係にある種の違和が

どうしても入りこんでくるということでしょうか。これがもしその教会のメンバーによって、ある

種の専門職としての牧師の働きが必要だから、あなたがそれを担ってよと言われて、その役を引き

受けているということであれば、そこには権威主義的なものはほとんど入り込む余地がないと言え

るかもしれません。あるとすれば、その役割を引き受けた本人が勝手に権威主義的に振舞うことは

あるでしょうが、そういう場合には、その教会のメンバーがお前それはおかしいぞと、はっきりと

言えるわけです。今回のオリエンテーションの発題では、そこまでの教職制度の問題性はお話しで

きませんでした。ただ今の教団では、正教師・補教師の二重(二種)教職制についても、教師検定

問題についても、何もわからないまま試験が行われ、教師が生み出されていますので、少なくとも

牧師になるということはどういうことなのか、教団においては、教職論においても、教職制度の問

題にしても歴史的な問題を抱えているということくらいは伝えたいと思って話しました。ただ残念

だったのは、前日に教区総会があったということも影響してか、オリエンテーションの参加者が何

時もより少なかったことです。この発題の中で船越教会の事例も紹介させてもらいました。

・25日の火曜日には、朝鶴巻を6時過ぎに出て、京急田浦に8時15分頃つき、東芝前でSさんが運

転するHさんの車に分乗して、横須賀の路上生活者のパトロールに行きました。衣笠でKさんが加わ

り3人で回りました。久里浜駅から久里浜の幾つかの公園、観音崎、海つり公園、うみかぜ公園

横須賀中央近辺、児童図書館、中央図書館、高速道路下と回って、私は京急逸見駅前で別れ、鶴巻

に戻りました。今回会うことのできた当事者は3人でした。この前の大雪のような時には、みなさ

んどうされているのか心配ですが、高速道路下に何時もいる方に、雪の日はどうされましたかと聞

いてみましたら、ここにはいなかったということでした。どこか安全な場所に身を寄せていたので

しょうか。冬場は路上生活者には特に厳しい季節です。以前ある路上生活者の方にお聞きしたとき

には、その方は冬場より夏場がいやだと言っていました。蚊などに悩まされるからだとおっしゃっ

ていました。何れにしても、衣食住が誰にも保証される社会をつくらなくてはと思うのです

が・・・。

・3月1日の土曜日は、午後1時30分から蒔田教会で、教区性差別問題特別委員会主催の「憲法

24条の問題性と改定後の更なる問題性」という題で、神奈川人権センター理事長で首都大学東京

の副学長でもある江原由美子さんの講演があり、私も参加しました。この日は教区の集会が重な

り、この集会の参加者は十数名でした。

憲法第24条は「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」で、「1、婚姻は、両性の合意のみ

に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されな

ければならない。2、配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関す

るその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければ

ならない」となっています。現憲法24条は、旧民法の「家制度」を基本とする男女不平等を否定し

家族を民主化する狙いで定められたが、問題は異性愛を前提にして、同性婚は排除されています。

また、現憲法の婚姻による家族形態だけなのかという問いも出ました。自民党の改定草案では、上

記現憲法の2項の前に1項新しく「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族

は、互いに助け合わなければならない」が加わっており、為政者を律する憲法の意義が全く変質さ

せられているとの指摘もありました。