なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(151)

          船越通信癸隠毅院 。横娃隠看3月16日               
・9日の日曜日は礼拝後、みなでお茶を飲みながら懇談して散会しました。この日教会堂の周りに

は足場が組まれて、屋根と外装の補修工事(ペンキ塗り)が始まっていました。船越教会の会堂は

1989年11月に献堂式を行っていますので、建築してから既に25年が経っています。その間一度外装

のペンキ塗りをしているようですので、今回が2回目になります。3月7日の朝8時半頃から足場の資

材が教会に運び込まれ、一日で足場が組まれました。その時は足場の関係者と思われる3人の方と

ペンキ屋さんご夫妻の5人で作業をしていました。3月8日の土曜日には、ご夫妻でお仕事をされて

いるペンキ屋さんだけで作業をしていました。汚れ落としの作業のようで、ジェット噴射のホース

で屋根や壁の積年の汚れを落としています。その作業は土曜日一日では出来ず、次週の10日(月)

以降に引き継がれていくことになりました。仕事は日曜日はお休みですので、私がペンキ屋さんと

お会いしたのは、14日の金曜日の朝でした。13日の木曜日は雨で、私が午後3時前に船越教会に着

いた時にはペンキ屋さんはいませんでした。この日の仕事は雨でお休みだったようです。15日の土

曜日夕方までには、ペンキを塗らない部分にはすべて手当が施され、後はペンキを塗るだけの状態

になりました。来週からは下塗りからペンキ塗りが始まると思われます。屋根と外壁は3回塗りの

ようです。

・14日(金)、15日(土)は晴れてはいましたが、風が少し冷たくもありましたので、ペンキ屋さ

んに昼食の時など、教会の部屋を使ってくださいと申し上げたのですが、遠慮されたのか、お昼も

教会の庭でお二人で済ませていました。ただ今教会の庭は、梅の木と桜の木が花をつけていて、梅

はもう終わりかけていますが、桜の方は満開で、ちょっとしたお花見気分を味わうことができま

す。二日ともお天気がよかったので、花の下での食事を選ばれたのかも知れません。

・このペンキ屋さんは、働き手はご夫婦だけの正に家内零細企業ということになります。見ている

限り、お仕事は大変丁寧で、積極的で、いやいやしているというのではなく、何か楽しそうです。

お仕事も補修とは言え、屋根や外壁をきれいにするわけです。無からの創造とは言えないまでも、

創造的なお仕事です。しかもご夫婦お二人でのお仕事で、上司に管理されているわけではありませ

ん。教会で頼んだのも教会員のWさんの紹介ですので、もしそういう形で個人の紹介でお仕事がで

きれば、建築会社が中間に介在もしませので、自由度が違います。お二人の健康が支えられ、仕事

が続く限り、自由に仕事が出来て、こういうお仕事もいいなあーと思いました。現代の社会では、

職人もまた管理システムに組み込まれている場合が多いので、このペンキ屋さんのような事例はむ

しろ少ないのではないかと思われます。管理社会が人間の仕事への意欲と楽しさをどんなに奪って

いるかということを思いながら、このペンキ屋さんの働きに心温まるものを感じています。

・この週は、11日(火)、12日(水)と2日間、連れ合いと伊豆大島に行ってきました。連れ合い

が大島に行ったことがないというので、椿の季節でもあり、大島の災害の復興支援にもなるかも知

れないと思い行ってきました。熱海からジェット船で1時間足らずで大島に着きます。行きも帰り

も岡田港でした。一日目は大島一周の観光バスで、二日目は岡田港から定期便のバスに乗って、郷

土資料館に行き、そこから元町港までぶらぶら歩き、災害の現場の山肌を遠くから見て、元町港か

らバスで岡田港に戻り、ジェット船で熱海にというコースでした。復興支援の団体も結構来てい

て、船を降りるとガイドに案内されながらバスに乗って行きました。私は小学生の時に友人数名と

学校の先生に大島に連れて行ってもらったことがあります。1951年頃のことです。三原山の噴火口

を見た記憶は今でもあります。今回は噴火口までは行かずに、三原山頂上のバス停のある見晴らし

台から見ただけでした。災害復興もさることながら、大島は観光に力を注いているのでしょうが、

実際に行ってみて、その厳しさを身に感じて来ました。大島でも、中央集権的な明治以降の日本の

国の在り方が、地方自治を破壊してきたのではないかという印象を持たざるを得ませんでした。

・私は最近、土日以外の日には、一篇ずつ井上良雄さんの説教集(キリスト講話集)から説教を読

むようにしています。14日には「教会は何のためにあるのか」という題の説教を読みました。この

説教はある教会からの招きによって語られたものです。しかも井上先生に依頼した教会では、その

教会で一番問題になっている疎遠会員のことで修養会を開くことになっていて、その前の礼拝で井

上先生は説教されたので、その説教でこの疎遠会員の問題にも触れておられます。疎遠会員とは教

会員でありながら、礼拝には来ていない人のことです。井上先生は、この疎遠会員の問題は対症療

法では解決しない問題で、根本的には教会理解の問題にまでさかのぼって考えなければならないと

言われます。疎遠会員は受け身の信仰で、多くの求道者の方と同じように、「教会とは、私どもが

様々の苦しみ悩みの中にあって、それに対しての慰めの言葉を聞くところ、そういう慰めの言葉を

求めて集まるところ、そのように理解されている場合が多いのではないでしょうか」と問いかけま

す。そして、教会とは確かにそういうところでもあるが、「教会とは何か。それは私どもの口から

主に対する讃美告白の声が上げられるところです。私どもが教会に集まるのは何のためか。それは

私どもが主に対して讃美告白をするためです」と言うのです。「神が本来イエスの復活で人間の歴

史を終えてもよかったにもかかわらず、再臨までの時間を設けられたのは、神の恵みに対する人間

の応答の声を聞くためであった、感謝の声を聞くためであった、讃美告白の声を聞くためであった

ということです。いま私どもが生きているこの地上の時間は、神の恵みに対する私どもの側の応

答、感謝、讃美告白の時間として設けられているのだということです」。教会に平安を求めるの

は、半分の真理であり、「神の恵みによって平安を見出した私どもは、その恵みに対する讃美告白

をしなければならない。それがもう一つの真理です。それを忘れてはならない。それを忘れるとい

うことは聖書のみ言葉を半分しか聞いていないということ、そして聖書のみ言葉を半分しかきいて

いないということは、全く聞いていないと同じです」と。