なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(456)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(456)復刻版を掲載します。2008年6月のものです。


      黙想と祈りの夕べ通信(456[-38]2008・6・22発行)復刻版


 昨日神奈川県立図書館に来た帰りに寄ったと言って、突然Y牧師が私を訪ねて来られました。最

初教会の建物全面に蔦が覆っているが、以前はそうではなかったように思うが、何時頃からですか、

と蔦の話をY牧師ははじめました。今のように全面蔦で覆われるようになったのは、この1,2年

ですね、と私は答えました。Y牧師は、蔦が覆うのは建物に良くないと聞きましたが、と言うので、

建築に関わっている教会員の方の話では、そうでもないそうですよと申し上げました。実はY牧師

が突然訪ねて来られたのは,蔦の話ではなく、私の教師退任勧告のことで心配して来られたという

ことでした。山北さんは「正しい」聖礼典の執行と言うが、何が正しいかということはそう簡単に

言えるものではない。ああいうやり方はおかしい。今の教団の状況は大変悲しい。怒りは分裂をも

たらすので、怒りをもつことはよろしくない。包んでいかないといけない。北村さんがいつもの変

わらないので安心した。最後に祈らせてくださいと言って、祈ってくださってY牧師は帰って行かれ

ました。Y牧師が私の今回のことで心を痛めてくれていることを思い、うれしい気持ちにさせられ

ました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。東北の地震の被災者たちのために

祈りたい。これ以上被害が広がらないことを願う。昨日ゴスペル・ライブに行って来た。楽しかっ

た。私は音楽が好きで、どんなタイプの音楽でも素晴らしいと思う。ただ今回のゴスペルのライブ

で感じたことがある。神さまは素晴らしい、主イエスは素晴らしいと、肯定的な言葉で気持ちよい

歌詞だ。しかし、人間には、神さまは素晴らしいと思える半面、神を疑ってしまうものもあって、

葛藤があるように思う。しかし、ゴスペルにはその葛藤が感じられなかった。そこにある危うさを

自分は感じてしまった。ちょうどヒットラーナチスが音楽を使って人々を陶酔させて、自分の都

合のよい方向に人々を誘導させていったのだが、それと同じ危うさを感じた。芸術作品は、ゴスペ

ルもそうだと思うが、清らかさだけではなく、よこしまなものをも介した清らかさではないかと思

う。自分の中にあるよこしまなもの、猥雑なものを認めながら、自分の中にある清らかさと折り合

いをつけて、芸術作品となるのではと思う。

 もう一人の方からの発言がありました。今週の土曜日に行われる教区総会に教団の問安使として

山北議長が来ることになっ ている。性差別の委員として私は山北議長に言いたいことがある。九

州教区で起こったセクシュアル・ハラスメント事件で痛みを抱えた女性に謝罪もなしで、加害牧師

にも一番軽い戒規だけを出して何もしようとしない山北議長の心を動かすことのできる言葉は何か

と、彼を責めるのではなく、祈りとして受け止めてもらえるような言葉は何かと。 朝夕、自分の

頭の中でめぐっている。先週水曜日国会前の座り込みで一緒の人が図書館から借りた本が面白いと

見せてもらった。その本は『新バイブル・ストーリーズ』。その場で著者後書きだけを読ませても

らった。そこで出会った言葉に著者は旧約の登場人物の行動を見て「・・・答えを知りたい問いが、

ぼくにはありました。ぼくたちはみなどうやったら、自分とは違っている人びとと、寛容、敬意、

共感、優しさをもってつきあえるようになるのか?そういうわけでぼくはこの本を書いたのです」。

私自身のこの言葉に何か答えが有る気がして本を購入した。ゆっくり読みながら考えていきたい。         

         「肉となる言葉」        6月22日


 言葉は重要です。言葉がないと、私たちの行いは意味を失ってしまいます。意味がないと、私た

ちは生きていけません。言葉は展望、洞察、理解、ビジョンを提供してくれます。言葉は、慰め、

励まし、力づけ、希望をもたらしてくれます。言葉は、恐れ、孤立、恥、罪悪感を取り除いてくれ

ます。言葉は、和解、一致、許し、癒しをもたらします。言葉は、平和、喜び、内なる自由、深い

感謝をもたらしてくれます。要するに、言葉はその翼で愛を運ぶのです。愛の言葉は、愛の行為の

内で、最もすばらしいものの一つにちがいありません。それは、言葉が私たちのいのちの内で肉と

なり、また人々のいのちの中で肉となる時、私たちは世界を変えることが出来るからです。

 イエスは肉となった言葉です。イエスにおいては、話すことと行うこととは一つでした。


                 (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)