なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(82)

        使徒言行録による説教(82)使徒言行録22:17-29、

キリスト者にはイエスとイエス神との対話・祈りがあります。その対話・祈りに促されて、自分が行動

するというところが私たちの中にはあるのではないでしょうか。もちろん、全面的には、なかなかそうは言

えないものが私たちの中にはあります。日常的な生活においては、この世の習慣や情報や家族や他人の影響

を受けて行動していることも多いからです。しかし、イエスだったら、イエスの神だったらどうされるのだ

ろうか? そういう問いが信仰者には、いつもいつもとは言えませんが、何か重要な決断をしなければなら

ないときにはあるのではないかと思うのであります。しかし、そのようにして決断したとしても、その決断

はその人の責任で選び取られたものであることには違いありません。

・私自身のことをお話させていただきますと、若い時ですが、私が牧師になろうとしたときに、そういう経

験をしています。自分の人生をどう生きていくのかという問いを抱えて、試行錯誤していた時です。イエス

だったら、イエスの神だったら私がどのように生きていくことを求めているだろうか。そういう祈りの葛藤

を経て、私は牧師になる道を選びました。これは、私自身とイエスないしはイエスの神との関係において、

私自身が決断した事柄です。ですから、家族の者にとっては思いもよらないことでした。父は最初強く反対

しました。妹も、私が家族から離れて神学校に入ってしまいましたので、勝手だ(ずるい)といいました。

父も妹もクリスチャンではありません。時間がたつに従って、少しずつ父も妹も私の選択を理解してくれる

ようになったと思いますが、どこまで理解してくれていたかはよくわかりません。

・そのようにイエスとイエスの神との関わりの中で信仰者は自分の道を選び取っていくのではないでしょう

か。あるいは選び取らされていくと言った方が正しいかもしれません。「強いられた恩寵」という言い方が

信仰者の中で言われることがありますが、これは正にイエスとイエスの神との関わりの中で、あなたはかく

生きよと促されて選び取った道のことを、「強いられた恩寵」と言うのです。

・青年時代に紅葉坂教会の私より一世代上の人たちが青年の頃に、丹沢の札掛というところにある丹沢ホー

ムというクリスチャンの方が経営する施設で夏期集会をしていました。その頃の紅葉坂教会の牧師は平賀徳

造という方でした。私と連れ合いはこの平賀徳造牧師の最後の受洗者の二人になりますが、この方は心臓の

病を抱えていました。丹沢ホームまでは、秦野から蓑毛というところへ行き、蓑毛からヤビツ峠まで約一時

間山を登らなければなりません。ヤビツ峠から丹沢ホームのある札掛までには下りですが、心臓の病を抱え

ていた平賀徳造牧師にとっては、蓑毛からヤビツ峠までの登りは大変きつかったようです。登りながら平賀

徳造牧師は「強いられた恩寵だ」と言いながら登ったそうです。それ以来紅葉坂教会では何かにつけて「強

いられた恩寵」という言葉がよく語られていました。

・今日の使徒言行録に記されています、ユダヤ人に向かって語っているパウロの弁明の内容も、ある意味で

パウロにとっての「強いられた恩寵」ではないでしょうか。パウロは、自分の回心について語った後に、

回心してからエルサレムに帰って神殿で祈っていた時、エクスタシー状態になって、主と出会って、主から

このように言われたというのです。18節ですが、「急げ、すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあ

なたが証しすることを、人々(ユダヤ人のこと)が受け入れないからである」と。パウロは答えて言います。

<「主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたことを、

この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれ

に賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです」>。パウロは、ユダヤ人がイエスの証人としての働

きを受け入れないから、エルサレムを出て行けという主の言葉をすぐには受け入れられなかったのかもし

れません。かつてのパウロは、今自分に怒りを向けているユダヤ人たちと同じように熱心なユダヤ教徒

あったということを語ることによって、ユダヤ人への思いを言い表しているのでしょう。すると更に主は

パウロに、「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」と言われたというのです。

・このパウロの弁明は、それを聞いているユダヤ人にとってみれば、許しがたいことでした。彼らの聖なる

神殿の中で、ユダヤ人の頑なさの故に、エルサレムから出て行って、遠く異邦人のためにパウロが遣わされ

るというのですから、ユダヤ人にとっては、お前たちは神に見捨てられたのだと聞こえたのでしょう。

・22節では、パウロの話をここまで聞いた人々は、声を張り上げて、「こんな男は地上から除いてしまえ。

生かしておけない」と言って、わめきならが、上着を投げつけたり、砂埃を空中に撒き散らしたというので

す。上着を投げつけたり、砂埃を空中に撒き散らすのは、激しい怒りの表現です。

・このような激しいユダヤ人の怒りに、ローマの千人隊長もびっくりして、部下にパウロを兵営に入れるよ

うに命じます。そして人々がどうしてこれほどパウロに対してわめきたてるのかを知るために、パウロを鞭

で打ちたたいて調べるように言ったというのです(24節)。ローマの千人隊長としては、エルサレムで暴動

が起きれば、自分の責任になりますので、パウロが暴動を誘発するのではないかと、パウロを容疑者扱いに

して調べるように部下に命じたのだと思います。

パウロを鞭で打つために、ローマの兵士はパウロの両手を広げて縛ります。するとそばに立っていた百人

隊長にパウロは言いました。「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってよいのですか」

と(25節)。パウロがローマの市民権をもっているということを知って、パウロを取り調べようとしてロー

マ兵は直ちに手を引き、この時のローマ兵の司令官であったと思われます千人隊長も、ローマ市民であるパ

ウロを、その身分を確かめずに縛ってしまったことで恐ろしくなったと言うのです。

パウロは、その後このローマ市民権に基づいてローマ皇帝に上訴し、ローマに連れていかれます。そのこ

とによってパウロは、「こんな男は地上から除いてしまえ。生かしておけない」と叫ぶユダヤ人から逃れる

ことができました。ローマ市民権を持って生まれたパウロの血筋が幸いしたということです。逆にパウロ

ユダヤ人としてかつて熱心なユダヤ教徒であったということが、イエスの証人となって律法から自由な福音

を人々に宣べ伝えていくようになってから、律法をないがしろにする者としてユダヤ人からの攻撃の対象に

なっていったのです。

・このようにイエスの証人としてのパウロと、ローマの市民権を持ち、ユダヤ人であり、かつては熱心なユ

ダヤ教徒としてキリスト教徒の迫害者であるという過去を持つパウロと、パウロはある意味で二重国籍者の

ような人間に見えます。事実パウロ自身がそのようなことをフィリピの信徒への手紙の中で述べています。

「わたしの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしは待っ

ています」(フィリピ3:20)。この言葉からすれば、この世の生活はパウロにとっては仮の宿だったのかも

知れません。パウロは、別の手紙の中でもこのようにも語っています。「世の事にかかわっている人は、か

かわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」(汽灰7:31)と。また、フィリ

ピの信徒の手紙の別の所では、このようにも言っています。「わたしにとって、生きることはキリストであ

り、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべ

きか、わたしにはわかりません。この二つのことの間で、板挟み状態です。一方では、この世を去って、キ

リストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あな

たがたのためにもっと必要です」(1:21-24)。

・このことはへブル人への手紙などにおいて出てくる「旅人」「寄留者」としての信仰者の姿に重なるかも

知れません(ヘブ11:13)。

・「二重国籍者」や「旅人」「寄留者」というイメージには、この世の人と異質な信仰者の姿というものが言

い表されていると共に、信仰者にとってこの世の生活は本来的な場所ではない。むしろ信仰者の故郷は天にあ

るという理解が含まれているように思われます。ですから、そのような信仰者としての生き様が二重の国籍を

生きる者のように、「板挟み様態」になると、パウロは言っているのです。このような板挟みをイエスは経験

したのでしょうか。また、イエス二重国籍者として、旅人や寄留者としてこの世を生きたのでしょうか。

・先ほども申し上げましたように、この世の人と異質な存在であったという点では、イエスもまた同じであっ

たように思います。異質な存在であるがゆえに、イエスは十字架にかけて殺されてしまったのです。あの十字

架の上でイエスは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで、息絶えたと言

われています。ああこれで自分の本当の国籍である天に帰ることができるのだから、ハレルヤ!、万歳!と言

って死んでいったわけではありません。

・イエスはこの地に神の支配としての神の国の実現を信じて行動したのではないでしょうか。ですから、イエ

スはこの地上の国において神の国を生きたのです。イエスが弟子たちに教えたとされる祈り(主の祈り)は、

そのことを明確に物語っているのではないでしょうか。ルカ版の主の祈りはこうなっています。<「父よ、御

名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの

罪を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を、皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせな

いでください」(11:2-4)この祈りは、この地上で生きる信仰者の祈りです。この祈りの究極の目標は、この

世が神の国になることです。イエスにあって信仰者は神の国の実現を信じ、この世にあって主の祈りを祈りつ

つ、その祈りを生きるのです。もちろん神の国の実現は終末的な神の業であって、私たちの力でできるわけは

ありません。私たちはその都度その都度信じて生きるだけです。