なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(91)

          使徒言行録による説教(91)使徒言行録26:12-23、

・今日(11月23日)は教会歴によりますと、終末主日、一年の最後の日曜日です。来週の日曜日はアドベン

ト第一主日になります。教会歴はアドベントから新しい一年が始まります。

・ところで皆さんは、年号を言い表すのに和暦によりますか。西暦によりますか。私は西暦でその年を理解

していますので、時々公文書で元号とそれに続く年によって年を表現する和暦での表記を求められたりしま

すと、今年は何年だろうかと迷ってしまいます。今年は平成26年ですね。元号は天王の代替わりによって新

しくなりますから、今年が平成26年ということは、26年前に昭和天皇裕仁(ひろひと)が亡くなったという

ことになります。

・この元号による年号(紀年法)は日本独特のもので、「飛鳥時代孝徳天皇によって645年に制定された大

化がその始まりであり、以来15世紀に亘って使われ続けてきている」と言われています。現代の日本は一応民

主国家の形態をとっていますが、年号は天皇制と結びついていて前近代的な感が否めません。元号で年を表わ

すのは、その年を天皇が支配しているかのように思えるからです。

・西暦(せいれき)は、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年(紀元)とした紀年法でありま

す。 ラテン文字表記はヨーロッパ各国で異なりますが、日本語や英語圏では、ラテン語の「A.D.」又は「AD」

が使われています。 これは「アンノドミニ (Anno Domini) 」の略で、 アンノドミニとは、キリスト教

イエス・キリストが君臨する時代」という意味です。この西暦も、キリスト教世界では抵抗なく受け入れら

れているでしょうが、ユダヤ教イスラム教や仏教文化の下にある人々には違和感があり、西欧の支配として

受け取られるかもしれません。

・教会歴はイエスの誕生、受難と復活、聖霊降臨に合わせて一年の暦が作られています。今日は降誕前第五主

日で、終末主日です。この暦も一年がイエス・キリストの御業によって導かれているということを意味してい

ると思われます。

・この暦や年号がイエス・キリストの出来事に基づいて表記されているということは、何を物語っているので

しょうか。それは年や日において、イエス・キリストを想い起す共にとイエス・キリストが中心にその年その

日がめぐっていることを示しているのではないでしょうか。西暦がイエス・キリストの誕生の前後で、紀元前

と紀元後に分けられているということは、紀元前と紀元後によって根本的に時の認識が変わったということを

意味しています。西暦を使用していても、ただ便宜的に用いている人も多いと思いますが、西暦の意味はそう

いうことではないかと思います。つまり、イエスの出来事によって人類史の中に新しい出来事が起こり、新し

い歴史が始まっているということを示すもので、私たちはそのことを忘れてはならないと思うのであります。

・イエスの出来事によって始まったその新しい歴史とは、死に打ち勝つ復活の命によってもたらされる義と平

和と喜びの歴史であり、「彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国

は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」(イザヤ2:4、口語訳)という預言者

イザヤの預言が実現成就している歴史、神の救済史の完成であります。その意味では、日本の平和憲法第9条は、

エスの出来事による新しい歴史、神の救済史の完成にふさわしい条文と言えるでしょう。

1.「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇

又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

・ この憲法第9条は、先ほど引用しました、「彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打

ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」というイザ

ヤの預言と内容的に同じであると言えるからであります。

・ところで、このようなイエスの出来事による新しい歴史、神の救済史の完成に私たちが参与する時には、私

たちの教会では多くの場合洗礼を受けるのではないかと思います。神の救済の歴史を知らず過ごしていた、生

まれながらの私たちは、罪と死の虜であったことを知って、イエスを主として告白し、バプテスマを受けて神

の子どもとされて、神を愛し、己のごとく隣人を愛していきる道をイエスに従って生きていくようになるので

す。ですから、バプテスマを受けて主イエスに従って生きる者は、イエスによってもたらされた神の救済の歴

史の完成を生きる奉仕者であり、証人なのです(使徒26:16)。

・このことは、実は先ほど司会者に読んでいただいた今日の聖書箇所、使徒言行録26章12節以下の、パウロ

アグリッパ王の前で弁明している記事の中でも、パウロ自身が語っていることでもあります。使徒言行録のこ

の箇所は、9章(9:1-16)、22章(22:6-16)に続けて、3回目のパウロが自分のダマスコ途上での回心の出来事

を語っているところです。その中で、パウロに対する彼の使命を告げる復活の主イエスの言葉がアナニヤを通

して語られる1回目と2回目には違って、ここでは直接パウロに語られています。

・人は誰も神に造られた者として、神に仕える奉仕者、証人ではないでしょうか。あたかも自分が神であるか

のように自己中心的な生き方をしている人、或は権力やお金に心を売り渡して、権力やお金の奴隷のように生

きる人、或は虚無に支配されて自分が何者なのかがわからないまま、時代の精神に支配されてしまっている人。

そのような人も本来神に造られ、神によって命を与えられた神に仕える奉仕者、証人なのではないでしょうか。

エスは私たちすべての者に人間本来の姿を示してくださいます。そしてその本来の姿をもって、私たちが生

きていかれるように霊を送って私たちを導いてくださっているのです。

・17節、18節のパウロに語られた復活の主イエスの言葉を、もう一度読んでみたいと思います。本田哲郎さん

の訳で読ませてもらいます。「わたしはイスラエルの民の中から、また、世俗の民の中からおまえを選び出し、

かれらのもとに派遣する。かれらの目を開かせ、闇から光へ、サタンの支配から神のほうへ、また、かれらが

わたしを信頼してあゆみを起こすことにより、道をふみはずしたことのゆるしを得て、聖なる者とされた人々

(貧しく小さくされた者)と連帯して、かれらも分け前にあずかれるようにするためである」。

・イエスの福音の奉仕者・証人に立てられたパウロに与えられた課題を、ルカはこのように記しているのです。

この中に「サタンの支配から神のほうへ」と言われていますが、このような言い方の中には、ルカの福音理解

が見出されるように思われます。ルカは使徒言行録10章38節で、イエスの生涯の働きを総括して、ペテロをし

てこう語らせています。「このイエスは、・・・悪魔に押さえつかれている人々をことごとくいやしながら、

巡回されました」と。この使徒言行録の中に、私たちはすでに三度も、魔術師との対決を見てきました(8:9,

13:6,1913)。そういう異教世界での魔術だけではなく、ユダヤの七十人議会(サンヘドリン)を筆頭とする

ユダヤ教社会も、同じようにサタンの支配の下にあると、ルカは見ていたのではないでしょうか。

・また、使徒言行録の著者ルカは、パウロがこのダマスコ途上での回心の出来事によって示されたイエスの福

音の奉仕者、証人として忠実に生きてきたことを、アグリッパの前でパウロをして語らせているのであります。

・「アグリッパ王よ、こういう次第で、私は天から示されたことに背かず、ダマスコにいる人々を初めとして、

エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわ

しい行いをするようにと伝えました」(19,20節)。ユダヤ人はこのパウロの宣教活動の故に、パウロを捕え、

殺そうとしたのです(21節)。「ところで、私は神からの助けを今日までいただいて、固く立ち、小さな者に

も大きな者にも証しをしてきましたが、預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外は、何一つ述べて

いません。つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を

語り告げることになると述べたのです」(22,23節)。つまり、イエスの死と復活は、旧約聖書(律法と預言)

の成就だということが、この弁明の最終結論なのです。

・このようなアグリッパ王の前でなされたパウロの弁明を見てきますと、最初に申し上げたように、西暦や教

会歴に示されているイエスの出来事に基づいている歴史を生きることが、パウロがその宣教活動で訴えたこと

ではないかと思うのであります。パウロローマ帝国が支配する地域で、しかもユダヤ人からの迫害を受けな

がら、まだイエスによって灯された光が小さかった時に、その宣教活動によって、その光の奉仕者・証人とし

て人々にそのイエスの光のもとで生きることを促したのではないでしょうか。復活の主イエスパウロに、

「起き上がれ、自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これか

らわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである」(使徒26:16)と語っ

たと言われます。この復活の主イエスの言葉は、パウロだけではなく、イエスを信じる者すべてに向かって語

られているのではないでしょうか。この「起き上がれ」と言う元々の言葉には、<(死から)よみがえらせる

>という意味もあります。生まれ変わってよみがえれ。そしてイエスの福音の奉仕者、証人として生きよ、と

いうイエスの促しです。

パウロと共にこのイエスの言葉を聞いている者として、私たちは、今の時代がいかに暗闇に閉ざされ、悪魔

的な力が支配しているかに見えても、イエスの光のもとに生きていくことができるし、許されていることの幸

いをかみしめたいと思います。