なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(190)

         船越通信癸隠坑亜 。横娃隠看12月21日 
                 
・14日の日曜日は教会員のMさんが礼拝説教をしてくれました。私は夏期休暇を取っていませんでしたの

で、この日曜日は休ませてもらいました。7日の日曜日礼拝後役員会があり、その役員会を終えて鶴巻に

帰ってからの1週間は何時もよりはのんびりと過ごすことができました。9日の火曜日午後3時半から5時

くらいまでは、農伝に行き、通常の授業ではありませんでしたが、来年3月卒業予定の3人の学生との時

間を持ちましたが、それ以外は仕事からは解放された時間を過ごすことができました。実は11日から13日

までの2泊3日で北海道の東部、道東をめぐる旅を連れ合いと楽しむことができました。私たちは自動車の

運転をしませんので、バスでいろいろな観光地や施設を巡るツアー旅を、数年に一回ぐらいの感じで行く

ようにしています。今回も急遽この旅に申し込み出かけました。ブログにも書きましたように、3日間天気

に恵まれ、またなかなか見ることのできない大鷲や丹頂鶴にもお目にかかることができて、バスガイドさ

んからも、「みなさんはラッキーですよ」と言われるくらいでした。私が一番印象深かったのは、網走刑

務所の旧建物が観光施設になっていて、一時間くらい元看守のかたの説明を受けながら回ってみたことで

す。その看守の説明の中に、明治の日露戦争が始まる前くらいだと思いますが、ソ連樺太から北海道の

道東を支配するのではという危機感をもった明治政府が、網走刑務所の囚人を徴用して道路を8か月でつく

らせ、そのために多くの囚人が死んでいったという話をしてくれました。早期の道路建設を進めたために、

その囚人の死体は道路わきに捨て置かれたというのです。その囚人の中には治安維持法で捕まった思想犯

が多かったそうです。また、刑務所の施設の形ですが、真ん中に看守のいるところがあって、そこから放

射線状に監獄ができていて、囚人が逃走を企てても、すぐ見えるようになっています。これはパノプティ

ノコン呼ばれている監視体制ではないかと思われます。現在の監視社会の原型はこの刑務所のパノプティ

ノコンにあると言われていますが、網走刑務所の建物の構造を見て、改めに監視社会の恐ろしさを肌で感

じました。ウイキペディアの説明では<パノプティコン、もしくはパンオプティコン(Panopticon)は邦訳

すれば全展望監視システムのこと。all「すべてを」(pan-)observe「みる」 (-opticon)という意味であ

る。イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが弟サミュエルに示唆を受け設計した刑務所その他施設の構想

であり[1]、その詳細が記された『パノプティコン』が1791年に刊行されている>となっています。私は

ミッシュル・フーコーの本を読んでいて、パノプティコンに気づかされました。今の網走刑務所は近代化

されていて、かつてのものとは雲泥の差だそうです。人権意識が低かった時代の刑務所に、特に思想犯と

して入れられた人々のことを考えると、何とも言えない暗い気持ちになりました。私たちが旅をして数日

後には爆弾低気圧の影響で、道東は大雪で、特に網走は交通網が寸断されて孤立状態ということでした。

根室では高潮と暴風雨の影響で浸水被害を受けたということです。私たちが行ったときには、どこを行っ

てもほとんど雪はなかったのですが・・・。

・14日の衆議院選挙では秦野市民である私の属する小選挙区では推薦する候補者が見当たらず、次善の

候補者に入れました。選挙結果はご存知の通りです。ただ沖縄では4つの小選挙区自民党候補者は一人も

当選しませんでした。権力に痛めつけられている民衆は黙っていることはできません。前衛的な運動では

革命は起きませんが、民衆が立ち上がったときには革命が起きます。これが歴史の真実ではないかと思い

ます。日本の国は、もし沖縄が独立にではなく日本の国に留まり続ける選択をするとすれば、沖縄から変

わっていくのではないでしょうか。沖縄に続いて福島も、そして非正規雇用の人たちや日雇い労働者や野

宿生活者の人たちが、そしてその後から支援者たちが続くことによって、今の安倍政権が主導する国造り

とは違い、もう一つ別の平和と人権を大切にする国造りに向かうことができるのではないでしょうか。

・私は14日の日曜日午後に船越教会に行き、支援会の通信印刷・発送作業の準備を始めました。今回も

支援会では支援者約1,000名と教団の全教会・伝道所1,700に送ることにしました。教会員のKさんにもそ

の作業に加わって下さり、15日、16日の二日で事務局、支援者総勢9名で、無事作業を完成させることが

できました。『通信』第12号16頁、別冊第4号8頁、封筒2,700を印刷、紙折、組合せの後、封筒のラベル

貼、通信・別冊を封筒に入れてセロテープで封をし、最後にヤマトのメール便のシールを貼って完成です。

16日午後5時には、ヤマトの人に集配にきてもらい、今回の作業の全てが終了しました。その後一度鶴巻

に帰り、18日の木曜日に船越に来ました。

・19日には寿地区活動委員会が寿地区センターでありました。2014年最後の委員会で、年末年始には今

年も寿では越冬活動が行われます。