なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(193)

           船越通信癸隠坑魁 。横娃隠鞠1月11日    

・1月4日の日曜日は2015年新年の最初でした。昨年の12月の役員会では4日も私の休みにという意

見もありましたが、私は4日は誰が来るかわからないので、この日は休みにしないでやりますと申し上げま

した。例年新年の初めての礼拝には思わぬ方が礼拝を共にしてくれているからです。今年は、3人のめすら

しい方が出席しました。お二人は、今沖縄で精神科の病院をはじめ様々な社会福祉の事業を展開していま

すサマリヤ病院の伝道所牧師をしていますKさんとそのお連れ合いのK・Hさんです。K・Hさんは高座渋谷

の教会員で、私の支援会の事務局長もしてくださっている方で、いろいろな市民運動に長年取り組んでい

る方です。特に秘密保護法反対運動には力を入れて取り組んでいます。もう一人はMさんのお子さんでH君

です。H君はこの3月に大学を卒業して、4月から静岡の施設で働くことになっています。この3人を加えて、

礼拝出席者は16名でした。礼拝後K夫妻は次の目的があり、すぐにお帰りになりましたが、皆でクリスマス

の装飾の後片づけをし、その後しばらく懇談をして散会しました。私は連れ合いと、私の6人兄弟姉妹の中

でただ一人元気でいる、私より10歳年上の姉がセンター南の駅の近くに住んでいますので、その姉の所に

新年の挨拶ということで寄ってから、鶴巻に帰りました。

・5日の月曜日は、国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。この座り込みは月曜日と

木曜日午後1時から4時まで行っていますが、何時も参加する方が風邪などで一人になるかもしれないとい

うことで、私が参加することにしました。結果的にこの日は3人での座り込みになりました。この日は新年

の5日ということもあり、国会前の人通りも閑散としていて、警備の警察官もほとんどいませんでした。た

だ通りかかった一人の年配の方が、辺野古基地建設反対を知って、「基地なんかいらないよね!」「これ

はおかしいよ!」「頑張ってね!」と声をかけて行かれました。インターネットで辺野古の様子を見ます

と、大浦湾の桟橋建設と称して、実質的な埋め立てが行われようとしているようで、今の政権は、沖縄知

事選と12月14日の衆議院選挙で示された沖縄の民意に全く耳を傾けようとしません。大浦湾の実質的な埋

め立てが強行されれば、反対側は抵抗し、激しい闘争にならないとも限りません。

・クリスマス祝会の時に、毎週金曜日の国会前の原発反対集会に欠かさず参加しているIさんからいただい

たコピーの中に、沖縄タイムズ12月17日号の孫崎亨さんの「日米同盟再考」(42)がありました。その中で孫

崎さんは衆議院選挙前に自分のブログに紹介したという、伊丹万作(映画監督の伊丹氏)が1946年に書いた

著書からの紹介を載せています。少し長くなりますが、そのまま引用させていただきます。<伊丹氏は書く。

「多くの人が、今度の戦争でだされたという。おれがだましたといった人間はまだ一人もいない。日本人全

体が互いにだましたりだまされたりしていた」と。/また、「新聞報道の愚劣さや、町会、隣組、警防団、

婦人会といったような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたか」と告発し、「専

横と圧政を支配者に許した国民の奴隷根性とも密接に繋がる」と述べる。/そして戦争を経て「我々は、い

ま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担

させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に

救われるときはないであろう」とし、「『だまされた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も

何度でもだまされるだろう」と警告する>。今度の衆議院選挙で、沖縄の方々にはこの警告は当てはまらな

いのかも知れません。けれどもヤマトの人間は、まだまだこの警告をしっかり聞く必要があるのではないで

しょうか。

‣ 6日(火)教区の常置委員会があり、出席しました。その常置委員会で2月総会に凖允・按手を受ける方

5名の面接がありました。それぞれの所信表明の後の質問の時に、私は要望として発言させてもらいました。

今の教団の現実は、私の戒規免職にも示されているように宣教理解の違いによって教会が二分化している。

この現実を踏まえるならば、その原因は、国家の強制による教団成立の問題をどう考えるかに起因している

ものと考えられるので、現在右傾化が顕著になっている状況を考えると、教団の二重教職制も教団成立の

問題であるから、教会が国家にどう対峙するかが問われていることを踏まえてほしいという趣旨の発言を

させてもらいました。

・教区常置委員会では、現在の教団執行部の姿勢が教区の自主性を認めない方向にありますので、教団常議

員会とのやり取りが増えています。第39回教団総会における私の戒規面書撤回と聖餐お議論の場を設定する

議案が、議長の一存で上程されなかったことへの抗議と質問が常置委員会の名で出されました。また、私か

らの要望で、常置委員会の名で信仰職制委員会に、教団議長名の証明書で私が教師の身分を剥奪されたとい

うことが来ましたので、では私は現在教団においての立場は何なのか(教職でないなら信徒なのか)という

諮問を出してもらいました。もう一つ、教団議長名で教区議長宛てに、按手・準允の時に教団信仰告白を唱

和するようにという通達が来ました。これをどう受け止めるかで常置委員会で議論しましたが、これを教区

総会で諮る前に、先ず「通達」の意味を常議員会に問うことにしました。「通達」をインターネットで調べ

ましたら、「通達(つうたつ、英語: circular notice)とは、主に行政機関内部において、上級機関が下

級機関に対し、指揮監督関係に基づきその機関の所掌事務について示達するため発翰する一般的定めのこと

をいう。 行政法学にいう行政立法中の行政規則として位置づけられる」とあります。教団議長は既に戦時

下の統理になったようです。本来教憲教規では、教団議長は会議制に基づくモデレイター(調停者、仲裁者

)のはずですが。私などより、教団議長こそ教憲教規違反者ではないですか。