なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(94)

         使徒言行録による説教(94)使徒言行録17:13-26、

・船に乗って暴風に襲われた経験をお持ちの方は少ないと思います。私は一度、それに類する経験をしたこ

とがあります。神学校を出て最初に赴任した教会の夏期集会が千葉の金谷の近くで行われました。その夏期

集会に一日遅れで、私は娘と息子のまだ小さな二人の子供を連れて、久里浜から金谷にフェリーで行ったこ

とがあります。久里浜でフェリーに乗る時に、既に台風の接近が予報されていましたが、フェリーは予定通

久里浜港を出港して金谷に向かいました。金谷が近づくに従って、船の船首は大波に向かって突っ込んで

いくようになり、沈んだり浮き上がったりで、船は大きく上下に揺れるようになりました。私は二人の子供

を両脇にかかえて、椅子から落ちないように必死になっていました。その内に私自身も吐き気を催すように

なりましたが、何とか我慢して、早く金谷に着くことだけを考えていました。緊張で顔から血の気が引いて

しまいましたが、何とか金谷港に船が着き、ほっとしたことを思い出します。

・今日の使徒言行録の所は、囚人としてローマに護送されるパウロが乗っていた船が、暴風にあって、漂流

してしまうことが記されているところです。27章10節でパウロは、船がクレタ島のラサヤという町の「良い

港」にたどり着いた時、海が既に航行中止の冬の時期に入っていたので、その時期は風によって海が荒れる

ので、この港で冬を過ごすことを提案しました。もう一度27章10節を読んでみたいと思います。

・「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と

多大の損失をもたらすことになります」と記されていました。

・しかし、パウロの警告は、パウロを囚人としてローマへ護送する責任のある百人隊長のユリウスには受け

入れられませんでした。ユリアスは航海には素人であるパウロよりも、「船長や船主」の方を信頼し、「良

い港」から僅か65キロ西にある「フェニクス港」(12節)に行き、そこで冬を過ごすことになりました。

ちょうど「良い港」から「フェニクス港」に行くために、都合のよい南風が吹いて来たので、<人々は望み

どおり、事が運ぶと考え、錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んで>いきました(13節)。このクレタ島の岸

は絶壁で、パウロの乗った船はその絶壁の下の海路を進んでいきました。<クレタ島は2000メートルを超え

る高い山が多く並んでおり、沿岸近くでさえ、1000メートルを超えるところもあ>り、<海岸の多くは絶壁

に近いから、そういう島から暴風が吹き下ろしてきたら、それは大変だろう>(田川建三)と言われていま

す。その暴風が吹き下ろしてきたというのです(14節)。

・そのために、船はそれに巻き込まれて、風に逆らって進むことができませんので、流されるに任せるほか

ありませんでした(15節)。島に沿って進もうとした計画は水泡に帰してしまいました。船は広い地中海に

押し出されてしまいました。幸い<カウダという小島(小さな島)の陰に来たので、おそらく上陸用や船の

方向を変えるために舳を引っ張ったりするための小舟が船尾に綱でつないで引っ張っていたのでしょう>

田川建三)。その小舟を船の上にあげ、<船体には綱を巻きつけた>とありますから(17節)、船が暴風

で壊れないように綱をまいて補強したということでしょうか。

・<シルティの浅瀬に乗り上げるのを恐れて>(17節)とあります。このシルティの浅瀬とは、リビアの北

側にある大きな湾というか海で、東はキルナイカの半島、西はチュニジアの半島にはさまれた海のことだと

言われています(田川建三)。ということは、アフリカの北岸まで船が流されて、来てしまったということ

です。この付近の海は<潮流の交錯が(潮の流れが交錯して)激しいために、水夫たちに恐れられていたと

言われています(高橋三郎)。風向きによって、この浅瀬に乗り上げる可能性が大きかったので、<積荷>

を捨て、ついには<船具>も投げ捨ててしまったというのです(19節)。<幾日もの間、太陽も星も見えず、

暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みが全く消え失せようとして>(20節)いました。人々は長

い間食事をとっていませんでした(21節)。

・そのような状況において、パウロは彼らの中に立って語り掛けました。<皆さん、わたしの言ったとおり、

クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなた

がたに勧めます>と言って、憔悴し切っている人々に、<元気を出しなさい>と励ましました。そして、そ

のような勧めを語ることが出来た根拠として、パウロは<船は失うが、皆さんのうちのだれ一人として命を

失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われ

ました。「パウロ、恐れるな」>(21-24節)とみんなに語りました。

・そして続けて、天使がパウロに、<あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海して

いるすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」>と語ったというのです。そこでパウロは<ですから、

皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになりま

す。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです>(21-24節)と人々に語ったというのです。

この<どこかの島に打ち上げられるはずです>の<はずです>は原文ではデイという語で、これは神の必然

を示す時に使われる言葉です。

・このように、船荷も船具も海に投げ捨ててしまい、幾日も太陽も星も見えないほど、激しく吹きまくる暴

風によって、漂流している船の中で生きたここちのしない人々に、<元気を出しなさい>、<恐れるな>と

語ったパウロは、いい加減なことを語って、人々を安心させるペテン師なのでしょうか。

・船は暴風に巻き込まれて、今にも沈没しそうな危機的な状況にあり、その暴風がおさまる気配すら見られ

ないので、船の中の人々は、<ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた>(20節)というのです。

パウロはそういう絶望的な状況の中で、みんなに「元気を出しなさい」と励ましているのです。パウロがこ

の励ましを語り得たのは、彼が前の日の夜に天使から告知を受けていたからだと、使徒言行録の著者ルカは

記しています。しかし、この天使からの告知は、パウロに何か唐突に与えられたものなのでしょうか。私に

はそうは思えません。

・先ほども触れましたが、パウロは、カイザリアを船出して、リキア州のミラでイタリアに行くアレクサン

ドリアの船に乗り換えらされて、向かい風の中やっとクレタ島のラサやの町に近い「良い港」と呼ばれると

ころに着いた時、この先航海を続けるのは危険だから、この「良い港」で航海が中止される冬の時期を過ご

すように提案したのでした。しかし、そのパウロの提案は受け入れられず、船が「良い港」から出港しため

に、このような危機的状況に陥ってしまったわけです。パウロは、自分の提案が受け入れられなかったこと

にこだわっていたのでしょうか。そうではなく、自分の提案を拒絶して、「良い港」から船をフェニクス港

に向かわせた百人隊長のユリウスの判断によってもたらされた、船が沈没してしまうかもしれないかも知れ

ないという危機の中で、みんなが戦々恐々としていた時に、パウロは、神がなさろうとされることは何かを、

静かに神に問いかけ、祈っていたのではないでしょうか。その祈りへの応答として、天使の告知を聞いたの

ではないでしょうか。何とか助かる事を願い、祈っていたのではないでしょうか。

パウロは自然の猛威と人間の思惑を超えて、そこに注がれている神の必然、神の御心と御業は何かを、聞き

取ろうとして祈っていたのだと思います。船は浅瀬に乗り上げて、座礁してしまうかもしれない。けれども、

人々は助かるという直観による判断を、天使の告知として受けたのではないかと思うのです。船を守ること

にこだわっていれば、人々の命が危険にさらされる率が高くなる。いよいよの時は、船を捨てる。浅瀬での

座礁だから、みんなが協力すれば、何とかみんなの命は助かる。そういう直観による判断です。自然の猛威

の中で、パウロはそういう直観的な判断を与えられたのではないかと思うのです。

・私たちキリスト者は、自然と歴史社会の中で生きる者として、その中にある神の必然である神の御心と御

業を尋ね求めて、その神の必然によって私たちが生きていくことを祈り願っているのではないでしょうか。

それは受肉したイエスが、この自然と歴史社会の中で歩まれた道でもあります。イエスは受難を自分の身に

引き受け、十字架を引き受けられました。それはゲッセマネの祈りの格闘の中で、「私の思いではなく、あ

なたの思いがなりますように」と祈り、イエスが自分に与えられた神の必然として、受難と十字架を引き受

けたということではないかと思うのであります。

パウロがこの船の座礁という危機の中で、助かる可能性が全くないと判断したならば、それでもすべての

人の命は助かるという幻想を天使からの告知として語ったでしょうか。そうは思えないのです。もしそうな

らば、パウロは、みんなに、「ここまでだ。後はすべて神に委ねて、一緒に死んでいこう」と語ったかもし

れないのです。それを神からの天使の告知として。

パウロはローマの信徒への手紙8章で、<現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べる

と、取るに足りないとわたしは思います>(18節)と言って、被造物のうめきと信仰者のうめきを語った後、

霊自らのうめきについて語って、このように言っています。<同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてく

ださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって

執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”

は神の御心に従って聖なる者たちのために執り成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり御計画

に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということをわたしたちは知っています>

(26-28節)。

・この<神を愛する者たち、つまり御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くとい

うことをわたしたちは知っています>というパウロ信仰告白には、自然や社会の中で、人間の思惑を超えて、

「万事が益となるように共に働く」方の存在をわたしたちは知っている、と言っています。

・このことは、今日の私たち信仰者においても、全く変わらない真理ではないでしょうか。「嵐に悩む」船の

人々は、この時代や社会という船に乗って、様々な問題によって悩み苦しむ私たち自身でもあるではないで

しょうか。とすれば、私たち自身も、パウロに倣って、万事を益となるように共に働らいて下さる方に信頼し

て、希望をもって今を生きることに招かれているのではないでしょうか。