船越通信癸横娃院 。横娃隠鞠3月8日
・1日の日曜日は第一日曜日でしたが、役員会がなく、私や連れ合いの青年時代からいろいろお世話になって
MさんがOさんと礼拝に出席しましたので、礼拝後しばらく懇談して、雨が降っていましたのでWさんが車でお
二人を金沢八景まで送って下さいました。連れ合いも鶴巻に帰り、日曜日、月曜日と船越教会で過ごし、その
前の週は毎日集会があり疲れていましたので、月曜日は午後2時過ぎに船越教会を出て鶴巻に帰りました。
・3日(火)から6日(金)まで鶴巻にいて、1日だけ御殿場線の下曽我駅の近くにある曽我梅林と新松田の山
の上にある河津桜と菜の花が咲いている所に行きました。そこから見る富士山は見事です。曽我梅林は、大倉
山の梅林とか湯河原の幕山の梅林のように公園に植えられた梅林ではありません。文字通り梅林であり、む
しろ梅の木の畑です。その広さは大倉山や幕山からは想像できないくらいの広さです。梅の生産のための梅
林ではないかと思います。花は既に終わりの時期でしたが、梅の香りを放っていて、個人宅の玄関に植えら
れた見事な紅白の枝垂れ梅などもあって、堪能することができました。午後3時過ぎに新松田に戻り、JR松田
駅から出ているシャトルバスにのって山の上まで行きました。山の急斜面に植えられた桃色の河津桜と黄色
の菜の花が満開で、西には富士山が、桜の木の眼下には開成町や小田原の町並み、その向こうに海も見えて、
こちらの方が人は多かったですが、楽しむことができました。
・5日の東京新聞を読んでいて、安倍政権が防衛省に「防衛装備庁」(仮称)を設置して、武器輸出に積極
的に取り組むことを考えているように、大変違和感を覚えました。武器輸出だけでなく、集団自衛権の「存
立危機事態」の解釈においても拡大解釈をし、自衛隊の武力行使の道を開こうとしています。平和憲法によ
って日本の国が戦後歩んできた枠組みを、どんどん変えて戦争のできる国造りに邁進しているとしか言いよ
うがありません。何とか食い止めなければなりません。この安倍政権の暴走は、それを許す「世間」がある
のではないかと思われます。クリスチャン新聞の「地方から考える教会と国家」特集に、佐賀県の日本バプ
テスト連盟の嬉野キリスト教会牧師の藤野慶一郎さんが、「神により私たちは自由」という文章を掲載して
います。いろいろ考えさせられる指摘がありますので、ここに転載させてもらいます。
・<「『権力』ではなく『世間』が信教の自由を脅かす」:「各家庭で日の丸を掲揚してください」。福岡
県の篠栗町で昨年末、「祝日に各家庭に国旗掲揚を求める決議」を可決しました。これは国家からの圧力で
はありません。現行憲法下にありながら全国にさきがけて町人の代表者らである町議会が全会一致で決議し
たものです。 「中学生に聖書配布 校門近くで布教 保護者ら問題視 戸惑う学校、対応に苦慮」。これ
はギデオン協会が5年前、あらかじめ中学校に連絡した上で、公道で聖書配布したことを書いた佐賀新聞の
見出しです。「無防備な子どもたちへの布教活動は卑劣」などという保護者の言葉が掲載されました。
国家権力や政府の圧力によるものではありません。日本の世間一般の空気が信教の自由を脅かしています。
自由民主党が3年も前から明らかにしている憲法改正草案はその空気を条文化したにすぎないのかもしれま
せん。
「憲法改定後、キリスト者が直面する3つの問題」:もしその通りに憲法が改定された場合、キリスト教界
はさしあたり次の3つの問題に直面することになるだろうと私は考えています。ゞ飢颪眛釮隆櫃魴任卸が
代を歌わなければならなくなる可能性(根拠:自民党草案三条〔国旗は日章旗とし、国家は君が代とする〕
)、公立学校による神社拝礼教育実施(根拠:同改憲草案二十条〔信教の自由は、保障する。国は、いか
なる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。〕教育基本法第二条五、同十三条)、9颪篌治体か
ら助成を受けているミッションスクールやキリスト教施設での礼拝禁止(根拠:同改憲草案八十九条〔公金
その他の公の財産は、第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き、宗教活動を行う組織若しくは団体の
使用、便益若しくは維持のために支出し、又はその利用に供してはならない。〕)(中略)/「妥協する教
会と妥協しない教会」:改憲後、迫害の時代が来ると言う意見も聞きます。しかし日本が締結している条約
の存在や、インターネットの普及で世界も見ていますから、政府による懲役や禁固、まして拷問などないだ
ろうと私は考えています。ただ聖書に従う事を優先し、改定された憲法を遵守しないキリスト教会について
「反日宗教だ」とマスコミに騒がれ一般世間からバッシングされることはあるかもしれません。あるいは日
の丸を掲げ拡声器を持った某団体から圧力が加えられることも覚悟が必要かもしれません。
その時教会は、礼拝出席者が減り、教団や連盟でも、神道という異教に妥協する側と妥協しない側に分裂す
るのではないでしょうか。私はそれぞれのクリスチャンが自分の信仰の確信に基づいて行動すればよいと思
っています。・・・ただクリスチャンと称する人が、日の丸君が代をしないクリスチャンを異端呼ばわりだ
けはしてほしくないと願っています。ですがそれも覚悟しなければならないでしょう。/妥協しない教会へ
は繰り返し自治体などから法令遵守を求められ、従わない場合、罰金を払わされ続けたり、宗教法人認証取
り消しや、最悪の場合解散させられることも考えておかなければなりません。(根拠:同改憲草案12条
〔・・・常に公益及び公の秩序に反してはならない。〕)。/「御言葉、祈り、愛で備え真の教会は残る」
:妥協しない教会はちょうど中国の家の教会のようになるのではないかと私は考えます。ですから私達は今
それに備えつつ教会に小グループを導入すべく少しずつ学びをすすめています。かつて戦時中に弾圧を受
け解散させられたホーリネス諸教会はそのような備えをまったくしていなかったためほんとうに教会が解
散してしまいました。その轍を踏まないようにしたいのです。今なら間に合います。・・・・>。
考えさせられるご意見ではないでしょうか。