なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(217)

 昨日まで私の説教集の初校、再校の校正をしていましたので、2週間くらいこのブログに記事を載せる余

裕がありませんでした。それで、昨日6月21日の礼拝説教をアップしましたが、今日の船越通信も6月28日の

もので、一週遅れになっています。説教集の校正は多分これで終わりでしょうから、これからは支援会関係の

仕事に力を注ぎたいと思います。「聖餐・戒規免職・対話~日本基督教団への問いかけ~」(仮題)の新教

コイノーニアの編集・作成。「北村慈郎牧師の処分展開を求め、ひらかれた合同教会をつくる宣言」の賛同

者を募り、9月半ば頃には、キリスト新聞とクリスチャン新聞に一面意見広告を出す予定です。また10月31日

に集会も予定していますので、それらの準備に当たらなければなりません。

 先日開かれた教区総会で、私の教区総会議員資格や私の免職にかかわる撤回議案にことごとく反対し、あ

る面で反対側の意見を代表している、彼が神学生時代から私は彼をよく知っていますし、彼も私のことをよ

く知っているのですが、その彼が総会が終わって、彼の席が私の真後ろでしたので、握手して挨拶しました

が、その時彼がしみじみと、「北村さんのことはいくら発言しても神奈川教区総会では変わらないねえ」と

いう趣旨のことを言っていました。私の問題が起こる前の神奈川教区では現教団執行部側がほぼ三分の二で

したが、私の問題が起こってから現教団執行部側が三分の一になっています。現在の教団執行部はそのこと

をよく考えなければなりません。沖縄教区ほどには明確ではありませんが、神奈川教区でも現教団施行部の

姿勢には距離を感じている教会・伝道所が多いということです。神奈川教区総会の選挙は全数連記ではあり

ません。少数連記です。ですから、いろいろな立場から選ばれます。現在教団の常議員になっている神奈川

教区から出ている常議員は、少数連記で選ばれています。もし神奈川教区が全数連記であれば、神奈川教区

から選出されて常議員になっている人は教団総会議員になれませんので、常議員になることはできません。

こういうこともあるわけですから、教団総会の選挙も以前のように半数連記か少数連記にすべきなのです。

東京教区をはじめ今なお全数連記の教区は、少なくとも半数連記にしなければ、教団全体の公正が担保でき

ません。そろそろ現況団執行部側の方々は、日本基督教団には多様な方々がいることを、つまり自分たちと

は考え方を異にする人々が、少なくとも全体の45パーセントはいることを認めて、そのことの上に立って教

団政治を進めていくべきです。時間が経てば経つほど、伝道伝道と言っている現教団執行部こそが、伝道の

阻害になっていくでしょう。そろそろ目覚めてもいい時期なのですが?


            船越通信癸横隠掘 。横娃隠鞠6月28日   

・21日(日)は礼拝後Wさんが持って来て下さったアップルパイでお茶をいただき、しばらく懇談して散会

しました。皆さんが帰った後、この日は2階の牧師館で何をするでもなく、ボーと過ごしました。

・22日月曜日は、久しぶりに毎週午後3時から4時まで久里浜の核燃料を製造している(株)グローバル

・ニュークリア・フュエル・ジャパン(GNF-j)裏門前で行われている抗議行動に参加しました。この日は道

路を通る車や歩行者へのアッピールの横断幕の片方を押さえている役割を私が引き受けました。そのように

して1時間立っていましたが、案外道路を走る車の中の人も、歩道を歩いている通行者も、横断幕を見てい

ます。抗議者の中には、小型のメガホン拡声器で言葉で訴える人と、歌で訴える人もあります。言葉で訴え

ている人は、つい最近も夜中にこのGNF-jから柏崎の原発に核燃料棒が搬出されたこと、GNF-jが日本の原発

の半分に核燃料棒をおさめていいる事実を示し、このGNF-jが原発にとってなくてはならない施設であること

などを語り、「もう作らないで核燃料」を訴えています。

・この週は、23日(火)は農伝へ行き、24日(水)は18:30分からの「戦争法案」反対の国会包囲行動に

連れ合いと一緒に参加しました。たまたま私の姪の子供が外国人3人を案内してこの国会包囲行動に来るとい

うので、地下鉄国会議事堂前で待ち合わせしました。連れ合いが携帯で連絡を取り、本人と落ち合うことが

できました。姪の子は3人を国会正門前で行われている集会の所まで案内したいというので、私たちは途中で

別れ、憲政会館前辺りの歩道の壁側に座って、スピーカーからの発言者の言葉に耳を傾け、時々行われる

シュプレヒコールに声を合わせました。翌日の新聞ではこの日の国会包囲行動への参加者は主催者発表で約3

万人ということでした。20:00過ぎに集会は終わり、帰路につく者、まだ残る者それぞれですが、私たちは新

宿に出て帰ってきました。国会前での包囲行動から地下鉄に乗り込んだ時に、国会前とこの地下鉄の中の世

界の違い、そのギャップを強く感じました。もちろんすべての人が「戦争法案」に反対しているわけではあ

りませんので、私が感じたギャップ感は当然なのですが、でもこの国の在り方が根本的に変わるかもしれな

い「戦争法案」への危機感を包んで、日常の営みは淡々と流れているのだということを、改めて突き付けら

れたように感じました。

・25日(木)には16:30より高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会があり、出席しました。基地・慈

江相対問題小委員会では、10月3日に岩国から大川清さんを呼んで講演会を計画していますが、その同じ日

に沖縄交流委員会が沖縄から高里鈴代さんを呼んで講演会を計画していることが分かり、7月に開かれる沖

縄交流委員会に基地・自衛隊問題小委員会から数名の委員が出席して、集会の調整をすることになりました。

一つの集会として開くか、別々としても同じ会場で続けて行うか、その当たりを沖縄交流委員会と確認させ

てもらうことになりました。私は基地・自衛隊問題小委員会の中で大川さんとの交渉役を引き受けています

ので、7月の沖縄交流委員会に基地・自衛隊問題小委員の一人として参加することになりました。

・26日の金曜日には新教出版社から私の説教集の初校が送られてきました。新教出版社の小林望さんから

メールで初校を私の方へ送るという連絡をいただきましたが、そのメールの中で小林さんが「たいへん豊か

な、また鋭いメッセージを読ませていただくことができて感謝でした。一人でも多くの方の手に取っていた

だきたいと願っています」と言ってくださり、少し心が楽になりました。私は「説教集」は、ある意味で自

己満足に思えていましたので、紅葉坂教会時代にも、紅葉坂教会に私を導いてくれた友人から説教集を出さ

ないかと言われていましたが、そのつもりはないと断ってきました。けれども、今回名古屋時代の大変お世

話になった80歳半ばを過ぎた方から、わざわざ名古屋から私の所まで来て勧めてくださり、ご自分で新教出

版社の小林さんと会って話をつけてくださったということもあり、意を決して説教集の準備にとりかかりま

した。最初は名古屋の御器所教会時代の説教テープを送ってもらい文章化しました。紅葉坂教会の説教は文

章化してくださる方があって、それで一冊の説教集が出来るくらいの量になりましたが、読んでみますと全

体が冗長の感じて、初めはそれを修正して何とかと思っていましたが、途中で断念して、船越教会でしたマ

ルコによる福音書1章から6章までの説教と2011年に福音と世界に一年間書い随想メッセージを一冊にするこ

とにして、ほぼ1年かかって新教出版社に4月末に原稿を送っていました。その初校が上がって、私の手元に

来たということです。説教集が出ましたら、ぜひ読んでいただければ幸いです。

・27日(土)には第134回神奈川教区総会が行われました。今回も組織会の前に冒頭から私のことが問題

になりました。今回は船越教会の代務者変更登記の時に教団から送られてきました、私の船越教会代務者辞

任承認に代わる「証明書」として「上記の者は、2010年9月15日付で日本基督教団教師の身分及び資

格を喪失したことを証明します」に対して、私が教区の常置委員会に私の身分は何か、教師でなければ信徒

かを教団の信仰職制委員会に諮問してもらいました。信仰職制委員会からの答申では私は「教師の身分およ

び資格を喪失した教師」ということでしたので、教区の常置委員会は私を教区総会の推薦正議員にして、教

区総会議案書には私の名前の前に教師を示す○印をつけてありました。そのことの説明を組織会の前に議長

がしたのですが、それに対してまた、私を推薦正議員にするのは、戒規処分を受けた者は教団教区の働きに

携わることはできないという教団の教規に違反しているので、凖議員にすべきだという意見が出て、議論が

行われました。採決して私は正議員とされました。今回の総会は報告総会ですので、2014年度の報告が中心

ですが、その他にヘイトスピーチに関する声明、私の免職撤回及び聖餐の議論の場を設定する声明、「戦

争法案」廃止を求める声明、辺野古基地建設反対声明の議案がありすべて可決されました。そこでなされ

た議論の中で、政治的問題は個人や有志でやるべきで、教会ではすべきでないという考え方が数名から出

ていました。そこにある問題は次回にしたいと思います。