なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(222)

             船越通信癸横横押 。横娃隠鞠8月2日    

・7月26日(日)礼拝後懇談し、散会しました。この日私の説教集『食材としての説教~聖書と現実の

往還から~』が出版されて、礼拝に来た方にも買い求めていただきました。この説教集は、説教集の最初

に「無くてならない食事」と題して書いてくれた名古屋時代の教会の方で、服部秀三さんの強い勧めがあ

って、出版するようになりました。去年の5月頃服部さんが私の所に説教集を出すように話をしにきて、新

教出版社の小林望さんのところまで行って出版の話をつけてくれましたので、この説教集を出すことにし

た次第です。私自身は、前々から牧師の晩年に出版する説教集は自己満足的なところがあるように思って

いましたので、自分としては説教集を出すつもりはありませんでした。けれども、服部さんの強い勧めと

戒規免職以来の私の状況、そして教団からは戒規免職処分を受けている私が、これも頼まれて農村伝道神

学校で説教演習を担当している者として、自分はこんな説教をしているというものがあれば、参考になる

のではという思いもあって、説教集を出すことにしました。もう一つ、これは後からの理由づけになるか

も知れませんが、今年の沖縄教区総会資料として出された竹花和成議長の「中間報告」の中に、関田寛雄

先生が訳されたリッチェルの『説教の神学』の「訳者あとがき」にある「「70年代以降の歴史を吟味する

時、教会と神学の新しい動向が示すものが、何を意味しているかが明らかになるであろう。人類的危機が

迫っている中で、無時間的、教条的、中立神学的がどのような運命を辿るかは、もはや自明のことである。

この世界の構造悪の中で苦しむ民衆と共にある十字架を負いたもうキリストに従うことなくして神学も教

会もあり得ない。そういう『現場』から生まれ出るものであればこそ、約束に生きる力あるものとなるで

あろう」という文章の引用があり、私もこの『説教の神学』を読んでいたものですから、私の説教集は、

この関田先生の言葉に対する私なりのささやかな応答という意味もあるということを思いました。そのよ

うにして、思わぬ形でできたこの私の説教集は、2011年11月に私が裁判を起こして以来、支援会の運動を

支えて下さった方々には感謝のしるしとして謹呈させてもらっています。

・26日(日)は午後3時過ぎに船越教会から鶴巻に帰りました。27日(月)から28日(火)にかけて、

横浜あゆみ荘で藤沢ベテル伝道所の飯塚光喜牧師が主催する「本田哲郎神父を囲む会」があり、私も参加し

ました。この会は今年で5回目になりますが、毎年この時期に行われます。最初は「障がいは恵みか?」と

いうテーマで話し合いましたが、その問題提起をされたカトリックの方が3回以降みえませんので、ここ2,

3年は、自由な話し合いの時を持っています。今年でた話題の一つとして、最後の審判や終末論(永遠の命)

について話し合われました。「最後の審判」なんてないという方がいましたが、一方最後の審判があって現

実の社会では悪人が栄え、善人は苦しんでいるが、最後の審判があって公正・公平が担保されるのではない

かという意見もありました。また、最後に審判が実際に歴史の終わりに来るということを、文字通りには信

じられないという人もいました。人間は死んだらそれで終わりで、そんな最後の審判がいつかやってくるな

どとは考えられないというのです。この話し合いの中で私は二つの発言をしました。最後の審判の教えに

ついては、自分も公正・公平の担保に近いこと、但し最後の審判は信仰の物語であって、将来いつか来る

というようなものではないのではないかということを言いました。もう一つは、「永遠の命」は永遠に生

きるというよりも、「永遠に意味ある生」ではないか。自分は若い時に鈴木正久さんの本の中で、鈴木正

久さんが「永遠の命とは永遠に意味ある生である」と書いているところを読んで納得し、それ以来そのよ

うに考えていると言いました。この「永遠の命」については本田さんも感心していたようです。27日(月)

午後2時から始まったこの会は28日(火)正午をもって終わりました。参加者は、今年は少な目で13名でし

た。

・30日(木)は久しぶりに国会前の辺野古新基地建設座り込みに参加しました。このところ毎週木曜日

「安保法案」反対の国会前行動が午後6時半からあり、座り込みは午後5時で終わりましたが、その後院内集

会に出席し、院内集会がちょうど6時半におわりましたので、続けて国会前行動に参加しました。発言者の

中に沖縄の辺野古大浦湾の近くから来たという方があり、その方が沖縄の苦悩を訴えていたのが心に響きま

した。特に大浦湾の自然の豊かさ、戦後大浦湾の恵みによって生き延びたその場所に基地が造られようとし

ているが、それを絶対に許してはならないと、全国各地からの応援を得て、今辺野古では闘っていますと、

切々と訴えていました。この行動に来ていた東京神学大学時代の後輩で、東神大闘争で教授会を批判した側

の友人と会い、彼は教会から離れていて、その彼が「イエスを主とする信仰から解放されて本当に良かっ

た」と言っていました。その彼は私の支援会に加わってくれて、支援会が開く集会には必ず出席してくれ

ます。

・31日(金)には汐入の横須賀ベイサイドポケットで開催された横須賀市民9条の会主催の講演会に出席

しました。2004年にイラク武装集団に拘束されて、その後日本で「自己責任論」によるバッシングを受け

高遠菜穂子さんが、その後もイラク支援活動を続けていて、その高遠さんの講演がありました。イラク

人たちの悲惨な状況の報告と共に、テロ戦争の実体についてもその講演から良く伝わってきました。従来戦

争は国家と国家によるものでしたが、テロの場合相手を対象化できませんから、戦争自体が非対称の戦争に

なります。どんなにアメリカが強力な軍隊をもっていても、相手が対象化できないわけですから、イラク

民間人が犠牲にならざるを得ません。テロを無くすには、テロが起こらない社会を築く以外にはありません。

安倍首相も集団的自衛権行使など考えずに、テロを武力で抑える愚行ではなく、テロの無い世界の形成に貢

献してもらいたいものです。

・8月1日(土)には蒔田教会で行われた教区の特定秘密法反対特別委員会主催の講演会に参加しました。

講師の小倉利丸さんから教られたことは次週で。