なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(226、227)

          船越通信癸横横供 。横娃隠鞠9月6日  
  
・8月30日(日)の船越通信は、その前の火曜日25日から31日まで、私の夏期休暇でしたので、お休

みにさせてもらいました。

・8月23日(日)の礼拝後、私は作業を終えて、23日(日)~24日(月)と横浜あゆみ荘で開催され

ました障がい者と教会交流会に参加しました。今回の講師はカトリックの本田哲郎神父でした。テーマは

「置き去りにされた私たち~必要な情報が保証されるために~」でした。集会案内チラシの呼びかけ文の中

には、本田哲郎さんの「貧しく小さくされた仲間たちをとおして、神がまわりのすべての人にはたらきかけ

る」(『釜ヶ崎と福音』より)という言葉が記されていました。本田さんのお話は、文字通りこの言葉に集

約されていました。本田さんは希望する者には授けていますが、強いて洗礼は勧めないと言っています。こ

の本田さんの発言からすると、教会は、信仰告白して洗礼を受けた人の集団というよりも、貧しく小さくさ

れた人たちと共に生きる群れと考えられているように思われます。この教会理解に対する違いは、現代のす

べてのキリスト教会への問いかけでもあります。そういう意味では、歴史的制度的な教会の枠組みは、カト

リックとプロテスタントの違いを含めて、現代ではほとんど意味を持たなくなっていると言えるかも知れま

せん。本田さんは、日本基督教団における私の処分のことを知って、北村さんを応援したいと言ってくれて

います。私たちも、日本基督教団の関係神学校の教師に学ぶよりも、本田さんの実践に学ぶことを可として

います。先駆的に問題提起したボンフェッファーの「神を信じ、神無しに生きる」という、宗教的な世界を

前提にしてではなく、非宗教的な世界を前提にした信仰の在り方が問われている時代に、私たちは生きてい

るということでしょう。このような時代にあっては、教会形成は、洗礼者を増やし、教会を活性化すること

ではなく、福音書のイエス運動を、今日的な社会と時代の中で継承することに尽きるのではないでしょうか。

・25日(火)午後3時5分の羽田空港から沖縄那覇行きの飛行機に乗り、連れ合いと二人で、私にとっては

5年ぶりの辺野古テント座り込みに出かけました。29日(土)午後5時過ぎに鶴巻に帰りましたが、実質三

日間沖縄で過ごしました。26日(水)は朝名護のホテルからタクシーでキャンプ・シュワブゲート前まで

行き、午前中はシュワブ・テントで座り込みました。この私たちの座っているところが、インターネット

(?)に写ったようです。この時ちょうど午前中沖縄の市議の方が5~6名テントに来て、その市議の方々の

発言を中心に集会があり、それをカメラで撮っていましたので、その中に私たちが写ったのだと思います。

市議の発言に続いて、連れ合いは国会前の座り込みの報告をさせてもらいました。集会が終わった後、キャ

ンプ・シュワブゲート前をシュプレヒコールをしながらデモしました。4~50人くらいだったでしょうか。

デモが終わった後、私たちは歩いて、辺野古テントに行き、午後はそこで座り込みをしました。ただ「午後

3時過ぎから旧ゲート前で、大浦崎収容所で亡くなった皆さんと、辺野古新基地建設反対をになってきた故

人の霊をお迎えするウンケーが行われた。ウンケージューシーや果物、酒などをお供えし、読経のあとみん

なで線香を上げ手を合わせた」(目取真俊さんのブログから)。私たちもこれに参加し、線香を上げ手を合

わせました。翌日27日(木)は一日辺野古のテントに座り込みました。27日、28日はお盆でシュワブ

前の抗議行動もお休みということで、28日は沖縄の友人と一日過ごし、29日に帰ってきました。

・沖縄から帰って来て、8月30日(日)は午後2時からの国会前10万人行動に参加し、夜は紅葉坂教会でかな

がわ明日の教団を考える会がありました。8月末ということもあり、参加者は少ないのではと思いきや、27名

もの方の参加がありました。関田先生からは、教団の平和の祈りについて公開質問を支援会として出すべき

ではないか、と、合同問題について初心者でもよく分かる冊子をどこかでつくる必要があるのではないかと

いう宿題を与えられました。9月1日(火)には常置委員会があり、私も出席しました。また2日には、連絡

が取れませんでしたNさんが本牧のホームに入っていることが分かり、お訪ねしてきました。その他この週は

支援会のキリスト新聞一面意見広告や通信第14号原稿準備などに追われ、夏期休暇の余韻もいっぺんに吹き

飛んで、日常性に戻されました。

 
             船越通信癸横横掘 。横娃隠鞠9月13日    

・6日(日)の礼拝は、説教後に「分かち合い」の時を持ち、説教についての話し合いがありました。この

日の説教のテキストは、エレミヤ書6章9-15節でした。この部分にはエレミヤの嘆きの言葉があります。

預言者としてエレミヤがイスラエルの民に神の言葉を語っても、人々はエレミヤの言葉に耳を傾けないので

す。そのような頑なな民と神との間にあって、エレミヤは疲労困憊しています。<主の怒りでわたしは満た

され/それに耐えることに疲れ果てた>(6:11)と。人々はどうかと言えば、<「身分の低い者から高い者

に至るまで/皆、利をむさぼり/預言者から祭司に至るまで皆、欺く。/彼らは、わが民の破滅を手軽に治

療して/平和がないのに、『平和、平和』と言う。>(6:13,14)。このような現実の中で、預言者として立

ち続けることがどんなに忍耐深いことであったかは想像できます。特にこの時のエレミヤは預言者としての

活動をはじめて、まだそんなに時が経ってはいなかったようですから、このような神と人間の狭間で神の言

葉をもって立ち続けることが、若い預言者エレミヤにはどんなに厳しいことであったことでしょうか。

・私はこのエレミヤの嘆きを、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と十字架

上で叫んだイエスの叫びと重ね合わせて考えてみました。そして少し飛躍しているかもしれませんが、「死

んで生きる道」こそ未来を切り開くことができるのではないかということをお話ししました。分かち合いで

は、もっぱらこの「死んで生きる」ということが話題になりました。エレミヤの場合、人々は神の怒りに打

ちのめされて、一度死んでそのどん底から立ち上がってきたときに、はじめて生きることができたのではな

いでしょうか。しかし、イスラエルの民は神の前に「利をむさぼる」その己の頑なさ、自己中心性を真に問

うことなく、それまでの自己のままで目の前の危機を何とかやり過ごそうとしていただけなのではないで

しょうか。彼らは生き延びようとして、結局は破滅を経験せざるをえなくなっていくのです。

・かつての戦争で死を経験した人は、憲法第9条に基づく平和な社会の建設に、「死んで生きる」道を見い出

したに違いありませんし、戦争を実際に体験していない人でも、現代でも繰り返される武力衝突による悲惨

を通して、軍事力によらない平和の構築こそ未来を切り開く唯一の道であることがわかるのではないでしょ

うか。安倍政権が積極的平和主義などという詭弁を弄して、アメリカ軍と共に自衛隊を海外に派遣して戦争

のできる国造りを進めているのは、安倍首相は「敗戦」による死を認めようとしないからなのでしょう。私

たちとしては「死んで生きる」道を歩み続けたいと思います。

・分かち合いの中で、戦時下特高に見張られていた教会の現実についての話がでました。同じような社会が

来ないことを願いますが、秘密保護法や国民総背番号制、さらには治安維持法ということにでもなれば、ど

うなるか分かりません。私は戦時下の日本の教会が戦争協力にいったのは、教会を維持という護教の力がは

たらいたからだと思います。東京神学大学時代に私の当時キリスト教教育の教師であったTさんが、授業の

中で、「再び戦時下のような状況が来たら、私は教会を解散して、個々人でその時代と社会をキリスト者

して生き延びる道を選ぶ。自分は一人になって闘う」という趣旨の発言をしたことがありました。私はその

Tさんの言葉に、なるほどと思いました。戦時下の教会の天皇制国家への妥協・協力は、「教会を護るために」

という側面が強かったのは確かだと思われるからです。そういう意味で、このTさんの言葉にハッとさせられ

たわけです。ところがそのTさんが、後に東京神学大学の学長になり、東神大問題が起こった時に、東京神学

大学を大学として守るために、教授会を批判した約半分の学生を切り棄てることに加わったのです。そのよ

うなTさんから、私は、言葉とその人の生き様とがその人の中で呼応することの困難さを強く思わされました。

でも、全体主義的な社会になってしまった時には、Tさんの言われたことは、選択肢の一つであることは間違

いありません。

・私は分かち合いの時に、天理教から別れた「ほんみち」のことも話しました。昔読んだ「ほんみち」の本

で、戦時下で「ほんみち」の500人くらいの指導者が捕まって獄中にあったとき、その家族を信徒が支えたと

いうことを読んだことがあります。大本教もそうなのでしょうが、神道系の民間宗教の強さのようなものを

感じました。これからの日本の国が天皇制国家のようにならないことにこしたことはないのですが。

・7日(日)は役員会がありました。役員会では、第一日地曜日7月から9月の3回試行した礼拝の中での「分

かち合い(説教についての話し合い)」を今後継続していくかどうかについて話し合いました。一応9月で試

行は終えて、10月24日の「修養会で感想の聞き取りをしつつ、長期的な視野で再検討すること」になりまし

た。会衆の中にはこの「分かち合い」が負担になる方もいますので、そんことへの配慮も必要ですので、修

養会で皆さんからの感想をお聞きした上で、11月の役員会で今後の方向を出したいと思っています。

・さてこの週は7日の月曜日午後に鶴巻に帰って、11日の金曜日午後4時ごろ鶴巻から寿地区センターで行

われる寿地区活動委員会に行くまで、めずらしく鶴巻にじっとしていました。ただ私の支援会のことで、先

週キリスト新聞の一面意見広告に掲載する「宣言」賛同者の五十音順名簿整理が終わり、通信第14号の原稿

のまとめもほぼしましたが、まだその作業が残っており、そのために時間をつかいました。通信第14号につ

いては、名古屋のSさんに編集レイアウトしてもらっていますので、メールでSさんとのやりとしを繰り返し、

11日の金曜日夜遅くで完成データをSさんから送ってもらいました。これで船越教会での14日(月)、15日

(火)の発送作業も予定通りできるようになりました。