なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(232)

 しばらくブログを掲載することができませんでした。久しぶりに船越通信232を掲載します。


         船越通信癸横械押 。横娃隠鞠10月18日    

・11日の日曜日の礼拝には、現在福岡にいらっしゃるWさん夫妻が出席しました。Wさんのお連れ合いは

カトリックの信者ということで、聖餐(ミサ)のことも話題に出ました。カトリックのミサには信者だけが

与かることが出来、信者でも、例えば認知症の方のような場合は、本人の応答がないということで、時には

ミサに与かることが出来ない場合もあるようです。この日はIさんも礼拝に出席しました。Iさんは国会前で

金曜日に毎週行われています反原発の抗議集会に続けて参加しています。Iさんはどこのグループにも所属

せず、一人で参加を続けていますが、抗議活動の中にもグループ同士の確執が入ってくる場合もあり、抗議

行動の本来の趣旨とは異なる問題で悩むこともあるようで、なかなか厳しいようです。Iさんは、市民運動

の中にある「強さ」への疑問があるようで、「弱さ」を内に抱えての運動の構築の必要性を強く意識してい

るようです。

・運動に参加している時に、Iさんの問いを私自身も感じることがあります。14日の夜官邸前で、13日の

翁長沖縄県知事による辺野古埋め立て承認取り消しに呼応する形で集会があり、私も参加しました。マイク

をもった司会者が、マイクをもってどこどこの組織の誰々さんと発言する人を紹介して、次々に元気のよい

発言が続きました。司会者が終わりを告げた時、一人の年配の女性が私にもとマイクをと言って、マイクを

とり、植木等のスーダラブブシの替え歌を紹介して辺野古新基地建設反対の意思表示をされました。この方

は司会者によっては紹介されないけれども、仲間の何人かと運動をしているのだと思います。組織動員もあ

ってもいいでしょうが、主体的な市民の運動が広がっていくことが望ましいのではないでしょうか。運動に

は常に運動の自己目的化が起こります。そうではなく、運動を必要としている現実の変革をどのように生み

出せるかだと思います。そのためには地味ですが、一人から一人へと主体的な市民の立ち上がりが不可欠で

はないでしょうか。

・14日の集会に参加して、沖縄のYさんからのメッセージがスピーカーから流れました。Yさんは、辺野古

や高江の運動の先頭に立って闘っている人です。キャンプシュワブゲート前での抗議行動で本年2月に名護

署に収監され、解放された後、4月22日に入院し病気でしばらく運動から退いて療養していました。最近運

動に復帰していて、そのYさんからのメッセージです。以前の情熱的なアッピールの声からすると、少し静

かな語り口でした。辺野古埋め立て承認取り消しを公表した翁長沖縄県知事を支えて、オール沖縄の運動が

続くことを訴える中で、Yさんは、安倍政権が辺野古新基地建設を強行するならば、沖縄の自決権に立って

、米軍基地撤去まで射程に入れて運動を続けて行くという趣旨の発言をされました。私はYさんがアッピー

ルの中に沖縄の米軍基地撤去にまで触れたことに、辺野古新基地建設反対の運動に70年間の沖縄の歴史の総

括が重なっていることを強く感じました。そのYさんのアッピールを聞きながら、横須賀の米軍基地のこと

が頭に浮かびました。横須賀における米軍基地撤去まで射程に入れた運動が構築できるであろうかと。その

ような怒りが横須賀に住んでいる人々の中にマグマのように存在するとは、現段階では思えません。でも沖

縄ではその怒りが今の辺野古基地建設反対の運動のベースになっていることは事実だと思います。沖縄戦

経験、戦後70年にわたる差別の現実が国家に翻弄されない自決権をもって国家に対峙する沖縄民衆を生み出

したのでしょう。そういう民衆の誕生こそが、国民国家群によってしのぎを削る戦争の連続と不公正な現代

の世界を切り開く未来を創造するのではないでしょうか。イエスはそのような自立した民衆の一人だったの

ではないでしょうか。

・16日(木)には、夜寿地区活動委員会があり、寿に行きました。寿に行く前に一人のお年寄りをホーム

に見舞いました。95歳の方ですが、この方はきちっと自己主張のできる人で、あれかもこれかもというので

はなく、あれかこれかを自分の信念としている人です。けれども年を重ねて行くに従って、自分自身も自由に

ならない状況に出会って、落ち込むことも多いようです。1時間ほど話をし、讃美歌を二つ歌い祈って、帰っ

てきました。老いを生きるということがどのようなことなのか、いろいろな方との出会いによって想像はで

きますが、自分がその時どのように生きられるだろうかと考えると、なってみないとわからないとしか言い

ようがありません。この種の話をするときに、私は自分の父親のことを話すことがありますので、お聞きに

なった方もあるかもしれません。私の父親は70の時に脳溢血で倒れ、半身不随の状態で85歳までの人生を全

うしましたが、健康だった時に、「俺が動けなくなったら、お前たち(子ども)には世話にならない。断食

して自死を選ぶ」と豪語したのです。ところが、いざ脳溢血で倒れたら、体が不自由になったものですから、

あれをしてくれ、これをしてくれと、あの豪語は何だったのかという変わり様でした。ですから、私も格好

良いことは言わないでいようと思っています。