なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(302)

             船越通信癸械娃押。横娃隠掲2月26    北村慈郎

・19日(日)の礼拝後12時30分より、第6回DVD鑑賞会がありました。今回のDVDは鎌仲ひとみ監督の「カノンだより癸魁

カマレポ癸検銑癸隠院繊廚任靴拭E貪妬‥臑莪豸業事故からもうすぐ6年になります。この原発事故によって住み慣れた土地を

離れなければならなくなった人々をはじめ、被曝の恐れを抱えながらの生活を強いられている福島に住む人々、事故処理に当たっ

て被曝の危険性の下に働かざるを得ない東電下請けの労働者の方々とその家族、どれだけの人々がこの原発事故によって命と生活

が脅かされていることでしょうか。そのことに思いを馳せながら、DVD「カノンだより3」を観ました。チェルノブイリーの原発

事故が起こったのは1986年ですから、それから30年が経ったことになります。「カノンだより癸魁▲マレポ癸検廚砲蓮▲船Д

ノブイリー原発事故から18年後に帰還政策で、汚染された壁などを取り除き改築し再開した学校に、入植者の子どもが150人学ん

でいるところがありました。まだ土地汚染が残っていて、そのために被曝防護対策が種々とられているということですが、この子

どもたちがどう成長していくのか。被曝の影響はどうなのかと思わざるを得ませんでした。「カマレポ癸隠院廚蓮△つて日本

で、特に北海道での保養体験をされたベラルーシの女性の方々が自らの体験を話していました。その一人一人の言葉から、小さな

子供たちの保養プログラムの大切さを改めて考えさせられました。神奈川教区でも福島の子供たちの保養プログラム、リフレッシ

ュ@かながわを、第6回目になりますが、今年も5月3日から6日まで行うことになっています。今回のDVD鑑賞会は10人の参加があ

りました。

・私はDVD鑑賞会後、その日午後4時半から教区事務所の2階で本年度第4回オリエンテーション(「教職論・信徒論について」講

師:農村伝道神学校校長高柳富夫さん)がありましたので、その準備をして出かけました。今までオリエンテーションでは教団問

題として教師検定問題や正教師・補教師の二重教職制の問題を扱ってきましたが、今回は「教職と信徒」の問題を扱いました。現

在の教団の大勢は教職と信徒にある種の階層性(指導・被指導)を持ち込んでいるように思われます。そのために信徒は教職に遠

慮して受け身になり易いのではないかと思われます。そうではなく信徒も教職も教会構成員として、その働きには多少違いがある

としても、対等であるのではないか。少なくとも新約聖書を読む限り、最初期の教会には教職制度はありませんでした。カリスマ

的な指導者はいたと思いますが、職制としては未分化の状態であったと考えられます。教会の担い手としては教職も信徒も対等同

等ではないかと思うのです。最近日本基督教団は特に地方の教会では経済的に牧師を招聘できない教会が多くなっています。です

から牧師がいなくとも、教会活動を続けていかれるということが現実の課題になっているのです。そういうこともあって、2016年

度から農村伝道神学校では教職養成と共に、将来教職をめざす人だけではなく、信徒のままで礼拝説教をしたり牧会活動をするた

めの信徒宣教者のコースを開設しています。そのような試みは北海教区では既に行われているようです。関田寛雄先生もそのため

に何度か北海教区から招かれて講師をされていると伺っています。そのような問題意識をもっておられる方の中には、カナダ合同

教会で学んでこられた方がいます。既に相当前からカナダ合同教会ではそのような取り組みをしているそうです。また、カナダ合

同教会の総会議長はたいていの場合専任の牧師ですが、これは現在までのところ資格要件ではなく、平信徒からも4人の議長がで

ていると言われます。現在制度化された教会の存立が、特に地方の過疎化が進んだ地域では困難になっていますが、その地域にも

信徒の交わりは可能であるとすれば、その信徒の交わりを教会と考えて、牧師がいなくとも教会活動として説教も聖礼典も牧会活

動もできるようにしていけばよいのではないかと思うのです。そのために信徒も説教はもちろん、聖礼典執行も可能なような道を

つけていけばよいのではないかと思います。例えば教区が責任をもって、牧師を招聘できない教会の信徒にある程度教育的な配慮

をした上で、その職を委託するということも考えられるのではないでしょうか。教勢教勢と言うよりも、「2人または3人がわが

名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ18:20)というイエスの約束に信頼して、教会をイエスを信じる

人の集まりとして考え、職制を相対化して原始キリスト教に近い形に考えれば、むしろその方が教会の本来のあり方に近いのでは

ないかと思います。

・24(金)午後6時半から県民センターホールで「『民意より米軍優先』の沖縄差別政策を許すな!~オスプレイ撤去!辺野古

新基地建設阻止!2・24神奈川集会~」が島ぐるみ会議と神奈川を結ぶ会/基地撤去をめざす県央共闘会議主催であり、私も連

れ合いと参加しました。この集会では沖縄から名護・ヘリ基地反対協議会共同代表の安次富治さんと参議院議員で元宜野湾市長の

伊波洋一さんのお二人が45分ずつパワーポイントを使って講演してくれました。主に安次さんからは沖縄の現状とその闘いについ

てお聞きしました。安次とは何度も辺野古のテントでお会いしていますが、安次さんからお話を聞きながら、大変厳しい状況の中

で、20年近く辺野古で新基地建設阻止の運動を続けて来られた沖縄の方々の、そのあきらめないという姿勢がどこから出ているの

か、改めて考えさせられました。繰り返し繰り返し差別され、痛めつけられてきた、沖縄の方々のその暴力への怒りと人間の尊厳

への信頼なのだろうかと思いまながら、そのような差別に米軍と共に加担している日本国政府、そしてその政府を選んでいるヤマ

トの一人としての自分を問わざると得ませんでした。伊波さんからは、綿密な資料に基づいたお話をお聞きしましたが、アメリ

が世界の警察から手を引かざるを得ない状況の中で、アメリカは、中国とは戦争をしない、もし戦争が起こっても、戦場を日本か

らフィリピンにかけての地理上に留めて、アメリカ本国を守る戦略を立てているということもおっしゃっていました。だからこそ

日本は中国と既に平和条約を結んでいるのだから、中国との関係の改善に力を注ぐべきだと。伊波さんのお話を聞きながら、アメ

リカ一辺倒で戦略をほとんど持たない日本政府の危うさを感じていました。25日(土)は教区総会でした。その報告は次回に。