船越通信癸械隠魁。横娃隠掲5月14日 北村慈郎
・7日の日曜日は礼拝後いつものようにお茶を飲みながら懇談の時を持ちました。Wさんが差し入れて下
さった美味しいアップルパイをいただき、またM人さんが松山の実家から送って来たと、差し入れて下
さっためずらしいグレープフルーツのような美生柑(みしょうかん)?を分かち合って味わいました
。この日は庭のサクランボの収穫もしました。昨年サクランボが実る桜の木に虫がつきましたので、植木
屋さんに手入れしてもらいましたが、その時剪定もしました。その影響と思われますが、今年はサクラン
ボが少ししか実りませんでした。Sさんがサクランボの収穫とその後の木の手入れをしてくれました。私
は来週の準備をして、まだSさんがいらっしゃいましたが、声をかけて先に船越教教会を出ました。
・この週は月曜から土曜まで毎日用事や集会が詰まっていました。8日の月曜日は午後4時から寿で打ち
合わせがありました。9日(火)は午後農伝の説教演習に行きました。今年は3名の受講者ですが、この
日は2名が欠席で、1名だけでした。10日(水)は午後7時から大和で「基地撤去をめざす県央共闘会
議」の幹事会があり、この幹事会には神奈川教区の基地・自衛隊問題小委員会も名を連ねていて私が出席
することになっていますので、この日も出席しました。この幹事会では、報告事項として、基地に関係す
る最近1,2か月に起こった出来事を時系列にまとめた報告があります。「4月21日 空母カールビンソン
でFA18が着艦時に事故」とか、「5月4日 岩国基地でハリアーが故障、緊急着陸」とかいうように、で
す。私たちの日常性からはほとんど分からない形で私たち日本の地において米軍や自衛隊の危険な行動が
頻繁に行われていて、危険な事故も繰り返されているのです。この問題は日米安全保障条約や地位協定に
関わります。県央共闘会議では5月27日(土)に第18回総会を開催し、そこで「活動報告案、方針案の集
約」が議題となりますが、その方針4には「日米地位協定の抜本改定を求める闘い」があります。以下の
内容になります。「基地撤去を求め、オスプレイの飛来・配備に反対し撤去を求める闘いを進め、また、
爆音訴訟で米軍機の飛行停止を求める闘いを進めてそれらを実現させるために、米軍や米兵に対して治外
法権を認めている日米地位協定を抜本的に改定して、日本の主権が米軍や米兵に行使できるようにする必
要がある。・・・/沖縄県では、17年ぶりに日米地協定の改定素案をつくり、捜査権の要求を中心に6
月にも日米政府に改定を迫る予定だ。/神奈川県の黒岩知事も、昨年に続いて2月の県議会で滝田孝徳民
進党県議団長の代表質問に答えて、この夏の渉外知事会で改定案を策定して、国に求めると答弁した。/
平和運動センターをはじめとする他団体・議員などと連携することを含めて、地位協定の抜本改定を求め
る闘いを進めて行く」。この運動を注目すると共に、私も可能な限りこの運動に参加していきたいと思い
ます。
・11日(木)には神奈川の「安保法制違憲訴訟」第2回口頭弁論が15:30から横浜地方裁判所でありまし
た。この裁判の私も原告の一人ですので、裁判所に行きましたが、傍聴抽選に当たりませんでしたので、
裁判後に関内ホール小ホールで行われました「裁判報告集会及び憲法問題交流会」に参加しました。傍聴
抽選に外れた60~70人に対して、報告会交流会の前に一人の弁護士から裁判の状況につていて30分ほど話
がありました。その後裁判が終了して傍聴した方も加わって「裁判報告集会及び憲法問題交流会」が行わ
れました。弁護士の話では国の方は憲法問題に踏み込まず、門前払いを狙っているようです。東京は同じ
裁判を行政訴訟として、神奈川は民事訴訟として訴えているので、両者連携しながら国側の矛盾を突い
て、勝訴を勝ち取りたいと弁護士は言っていました。民事訴訟ということは、安保法制の成立施行によっ
て私たちがどんな損害を受けているか、具体的に主張する必要があります。弁護士からもみなさんにとっ
てどのような損害が生じるかを具体的に主張してもらいたいので、考えてくださいとのアッピールがあり
ました。会が午後5時半過ぎに終わりましたので、この日私は船越教会に行きました。
・12日(金)は一日船越教会で過ごし、夜聖書研究がありました。私を含めて4名の出席で、今回は
テモテ3章1-7節を扱いました。監督についての記事です。新共同訳聖書の表題では「監督の資格」と
なっています。どういう人が監督にふさわしいかということが述べられているところです。「監督は、非
のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よ
く教えることができなければなりません。また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金
銭に執着せず、・・・」と。ヘレニズム社会に設立された教会が、ヘレニズム社会の中で人々の信頼を勝
ち得るためには、指導者の資質が厳しく問われたのではないかと思われます。その意味でヘレニズム社会
の中で人々が徳のある人と認定するような人を教会は監督職に立てるようにしていたということではない
でしょうか。社会集団を形成するようになった教会が、その集団を維持発展させるために選び取った組織
化(職制)と言えるでしょう。歴史的な必然とも言えるし、この組織化によって教会は福音とは相反する
権威を教会に持ち込んでしまったとも言える、問題をはらんだ初期教会の選択と言ってよいのかも知れま
せん。
・この週は13日(土)も、心の病を負った方々の集まりでの礼拝説教を去年から頼まれていましたの
で、午後根岸の集会所に行きました。この集会は「心の泉会」と言って、全国的なもののようです。アル
コール依存症の方々のミーティングのような当事者による支え合いの集いと言ってよいかもしれません。
毎夏開かあれている「障がい者と教会の集い」で、発題者として10数年前になるかと思いますが大阪から
来られたTさんという方が呼び掛けて始まった集いではないかと思います。横浜でも行われているという
ことを聞いていて、以前神奈川教区におられ、今は天上の人になっておられるK牧師がその集いに行って
いるということを伺ったことがあります。この日の礼拝説教はYさんから頼まれて引き受けました。私を
含めて6名の出席者でした。午後2時半ごろに始まって、私のお話しの後、質疑があり、4時半ごろ終わり
ました。6時には船越教会に帰りました。