なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(335)

      船越通信癸械械機   。横娃隠掲10月22日   北村慈郎

・15日の日曜日は少数でしたが礼拝後いつものようにお茶を飲み懇談して散会しまた。この日はその後

何もありませんでしたので、次週の準備をして、何時もより早めに船越教会を出て、鶴巻に向かいまし

た。11日に沖縄高江で起きた米軍の大型輸送ヘリCH53の墜落炎上事故について、沖縄タイムスのプ

ラスニュースでは以下のように報じていいます。少し長くなりますが全文引用紹介させてもらいます。≪

事故から約5時間がたった11日午後10時半ごろ、米軍ヘリ墜落の事故現場になった牧草地を所有する

沖縄県東村高江の農業、西銘晃さん(64)の自宅に、沖縄防衛局の鍋田克己管理部次長が訪れ「大変ご

迷惑をおかけした。被害状況を調査してしっかり補償をさせていただく」と謝罪した。西銘さんは「牧草

地のど真ん中が燃えている」と強い口調で抗議した。西銘さんによると、現場から北に600メートルほ

どの別の場所で農作業が終わり帰ろうとした時、黒煙に気付き車で急行した。事故発生は自宅から約30

0メートル先の牧草地。「家じゃなくて良かった」と胸をなで下ろした。父・清さん(87)は現場から

わずか100メートル圏内の養豚場にいたという。/乗員と思われる米兵7人は荷物を持ち、事故機から

避難。このうち女性から英語で「トラブルで不時着したが大丈夫。近づかないで」との趣旨のことを告げ

られたという。現場をスマホで撮影する者もいて「ヘリは先端部分から炎が噴き出していたが、尾翼は

残っていた」と話す。7人は間もなく現れたヘリ2機のうち1機に乗り込み、その場を去った。/牧草は

牛やヤギの飼料用で刈り取る直前。刈り取った後は2~3日乾燥させ販売する。妻美恵子さん(63)は

「乾燥した草だったら、火は燃え広がったと思う」と言う。現場周辺は過去にも複数回、米軍ヘリの不時

着があり「その場で作業中だったら、家に落ちたらどうなっていたかと思うと本当に怖い」と振り返った

≫。

・今回の事故も、昨年12月に名護市安部の海岸で起こったオスプレイ墜落事故や2004年に沖縄国際大学

内に墜落した米軍ヘリコプター事故の時と同じように、日本の警察は事故調査をすることができず、一方

的に米軍の管理下に置かれています。これは1955年の密約「日本の警察は基地の外であっても米軍の財産

については捜査しない」があり、「日本の国土は、すべて米軍の治外法権下にある」からです(矢部宏

治)。日本が主権国家であれば、考えられないことですが、在日米軍との関係においては、日本は到底主

権国家とは言えません。今も米軍の占領状態にあるとしか思えません。

・18日(水)18:30より高江での米軍大型輸送ヘリCH53の墜落炎上事故に対する防衛省前抗議行動

がありました。私も参加するつもりでしたが、この日午前11時から紅葉坂教会で教会員の葬儀があり、

私も出席し、鶴巻に帰ったのが午後2時過ぎになり、少し体が重く感じられましたので、残念ながら防衛

省前抗議行動には参加しませんでした。このところ米軍ヘリの事故が続いていますが、それに対して飛行

差止めも出来ず、米軍の言いなりになっている日本政府のふがいなさが際立ちます。現在の日本では、よ

く言われるように、憲法の上に日米安保と諸密約があって、米軍に逆らえないようになっているからなの

でしょう。何とかここにメスを入れ、憲法の下にある政治が行われるようにしたいものだと思います。

・20(金)は午前中秦野日赤に前立腺肥大の3か月に一回の診察に行きました。7月に検査入院して組織

を調べ、癌性ではないと言われていますが、今回の診察でも血液検査の結果の数値がまだ高いということ

でした。薬を飲んで様子を見るということで帰ってきました。今のところ日常生活への支障は何もありま

せんので、医師の判断に従って行こうと思っています。

・この日は夜寿地区センターで寿地区活動委員会がありました。私はその前に浦舟町の横浜市大病院に入

院しているHさんを見舞ってから委員会に出席しました。委員会ではクリスマス献金依頼ポスターや年末

年始の越冬闘争のことも話し合われました。その話をしていて、そう言えば後2か月と10日で今年も一年

が終わるのかと実感させられました。この日の委員会は比較的早めに終わり、午後9時過ぎには船越教会

に着きました。

・21(土)は午後3時からDVDで映画マーティン・スコッセン監督「沈黙サイレンス」を、有志の参加に

よる修養会の前座プログラムとして上映しました。今年の修養会は9名の参加予定者でしたが、NさんとM

さんが急に来れなくなり、7名に減りました。映画を鑑賞したのは6名でした。映画鑑賞の後、船越ごはん

亭に電話で頼んたお弁当をN・Jさんが取りに行ってくださり、ちょうど到着したIさんを加えて、Hさんが

用意して下さったけんちん汁と共にお弁当を皆でいただきました。午後7時から今年の修養会のテーマ

「なぜ私は教会に行くのか」の発題をK・Cさんがしてくれました。K・Cさんは今自分の課題として関わっ

ている三つのことを最初に話しました。一つはレスパイトケア萌についてです。レスパイトケア萌は障が

い児の在宅支援をしているNPO法人です。彼女は現在その代表理事をしていますが、このNPO法人の働きを

するようになった、障がい児との関わりの彼女の個人史についても話してくれました。二つ目は、十数年

来国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みを続けていることです。T・Eさんとの出会いと2002年の教団

総会での沖縄教区提案の名称変更議案を始め、合同のとらえなおし関連議案すべてをY・N議長が審議未了

廃案として葬ったとき、沖縄からきていた信徒が涙しながら総会会場を去って行ったことを見て、自覚的

に沖縄との関わりを課題としていること。その関連で国会前の座り込みに繋がっていることなどを話して

くれました。三つ目は、性差別問題との取り組みです。これらの三つの自分の課題を担っていくことは、

幼い時から教会の子として育って来て、自分にとって教会は生活の一部で、日曜毎の礼拝で力をもらって

一週間の生活に出てくことと密接不可分であること。それが「なぜ私は教会に行くのか」であると。その

後参加者7人で話し合いをしました。「なぜ私は教会に行くのか」については、それぞれに理由があり、

一人一人が導かれていることを実感しました。午後9時過ぎに話し合いを終え、5人は帰宅しました。